すたこら 卒業/下

すた・こら

 桜の開花の便りも届き、新生活への期待と不安が入り交じるこの時期。前回に引き続き、大学生活に別れを告げ、新たな自分の道に踏み出していくキャンパる卒業生たちの、今の思いをお届けする。

私は「しずく」 東洋大 荻野しずく

 「私は『しずく』?」

 これは、キャンパるで初めて執筆したコラムの題だ。成長過程でなくした自信を取り戻し、人目を引くこの名前を堂々と名乗りたい。そんな19歳の思いを包み隠さず書きつづった。

 だが、自信をつける以前に「ありのままの自分を受け入れること」ができなかった。それに気づいたのは、就職活動が迫る自粛生活のさなか。将来に対する漠然とした不安が押し寄せ、そのストレスにうまく対処できず、心身のバランスを崩した。食べるたびにおなかを下す、突然のぼせの症状が出る、悲観的なことを延々と考えてしまう……。見て見ぬふりしてきた弱点が一気に露呈し、そんな自分を激しく責め立てる日々を送った。

 このままの体調で自分をアピールしていくのはしんどい。そう思った私は、昨夏に就活を中断。失った生気を取り戻すことに専念した。ランニングに励んだり、座禅会に通い始めたり――。心と体がバラバラの状態を変えたくて必死だった。

 そして迎えたこの春。心身の弱さと向き合い続け、英気を養った私は、就活を再開した。随分と遠回りをしたが、暗い言葉で自分自身を傷つけていたあの頃よりは、前を向いている。

 今の私は、ハタチを目前に思い描いていた姿ではないだろう。けれど、繊細で不器用で、物事を深く考えすぎる私でもいい。弱さを抱えながら生きていく。そんな自分を受け入れられたからこそ、これからは胸を張って名乗ろう。「私は『しずく』です」と。

無感覚になるな 筑波大 西美乃里

 毎年夏にキャンパる紙面を飾る「戦争と平和を考える」特集。戦争を生き抜いた人々の肉声に接する取材過程で耳にし、折に触れて思い出す言葉がある。「戦争が/廊下の奥に/立つてゐた」という、渡辺白泉による銃後俳句だ。

 不穏な影から目をそらすうち、気づけば戦争は不可避になっていた――。句が教える、そんな苦い思いを味わう前に自分にできることはないか。答えを探し、今月、鹿児島県の知覧特攻平和会館を訪れた。

 77年前、その地では特攻隊員たちが出撃までの訓練に励んだ。知覧飛行場跡地に設立された同館には、彼らが大切な人に残した手紙など「最後の言葉」の数々が残されている。

 展示資料の一つに、私と同世代の隊員がしたためた日記があった。特攻を命じられたその日、彼は「(私は)もっと無感覚にならなければ」と自戒する言葉を書き留めていた。

 私にはその言葉が、「無感覚になるな」という逆説的な警告に思えた。取材班に初参加した2019年には、祖母が暮らす奄美大島に陸上自衛隊が駐屯を開始。20~21年に留学していたロシアは2月、ウクライナへ侵攻した。

 私たちを取り巻く日常が、変化しつつあることへの不安が募る。だが、そんな今だからこそ不穏さを正面から直視しよう。「廊下の奥」には平和が待つ、そんな世界を実現できるよう、社会人になっても、いつまでも平和を目指し続ける努力を怠るまい。

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