2019/08/27 戦争を考える(下・2)

命の大切さ、舞踏で表現

 日本の前衛舞踊として知られる「舞踏」。その創始者の一人である舞踏家の大野慶人(よしと)さん(81)=横浜市=は、自身の舞踏を「誰でも平和な世の中になってほしいという祈り」と表現する。言葉の背景にある自身の戦争体験、そして平和への思いについて話を聞いた。


 大野さんは、幼い頃から疎開を繰り返し、1945(昭和20)年には、戦争の激化から秋田県大館市へ再疎開することになった。秋田では、労働者として働かせていた外国人に日本人が暴力を振るっている様子を何度も目にしてきたという。

 しかし、終戦直前、過酷な労働や暴力に耐えきれなくなった外国人労働者による蜂起が起こった。世に言う「花岡事件」である。7歳直前だった大野さんにとって、事件は強く印象に残っている。「今まで日本人が外国人労働者を虐待してきたことは知っている。だから、同じ日本人である自分にもその復讐(ふくしゅう)の矛先が向くのではないかと怖かった」

 終戦を迎えてから、家族とともに秋田を離れ、疎開先だった千葉・勝浦へ戻った。しかし、疎開先で暮らしていたため自宅のなかった大野さん一家は、さまざまな場所を転々とする日々を送ることに。

 モダンダンスの踊り手であり、体育教師でもあった父が以前勤めていた中学校の地下で生活したことや、父の同僚に住居の一部屋を貸してもらい家族4人で生活していたこともあったそうだ。大野さんは当時の生活について、「苦労と感じたことはない。周りもみんな同じ状況で、当時は当たり前だったから」と語る。

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 13歳になると、父からダンスの稽古(けいこ)へ通うよう説得された。これが、ダンスの道へ進む第一歩となった。次第にダンスの魅力にとりつかれ、20歳の時にはホモセクシュアルをテーマとした「禁色」という作品に出演した。この作品は、日本で発展した舞踏というジャンルの端緒とされている。

 舞踏は、テクニックを重視する西洋のダンスとは違い、人間の本質を重視して身体表現で伝える。人間の内面的な部分を扱う時、命の大切さや生きる上での誠実さを意識することは欠かせない。だからこそ、戦争の経験は、自分の舞踏とは切っても切れない大切なものだと大野さんは強調する。

 今年6月、大野さんは「緑のテーブル2017」という作品に出演した。基となったのは「緑のテーブル」という戦争をテーマにした古典的な作品。17年の初演から再演を繰り返し、6月の公演は4度目。作中には、旭日旗や娼婦(しょうふ)、サイレンの音を背景に逃げ惑う女性たちなど戦争をほうふつとさせる場面が出てくる。大野さんには「戦争体験者が少なくなっているなか、戦争を知っている一人として伝えなくてはいけない」という思いがあった。

 現在、大野さんは指導者としての活動を中心に行っている。稽古場には、外国から来た生徒も多くみられる。これまで、40カ国以上もの人が訪れた。「全ての人に共通する人間の本質を求めて世界中から舞踏を習いに来るのではないか」と大野さんは分析する。

 「『国破れて山河在り』というように舞台はふるさとの山や川のように変わらずにある文化。戦争に反対する言葉よりも、変わらずにあり続け、傷ついた人々をいやす舞台の存在こそ、今伝える必要がある」。そう大野さんは訴える。

 言葉や国の壁を超えて人々の心をつなぐ舞踏。大野さんの「誰にとっても平和な世の中にしていきたい」という思いは、身体を通じてこれからも受け継がれていくことだろう。


■舞踏
 言葉やそのイメージから自分なりに動きを生み出す日本独自の身体芸術。当初は暗黒舞踏と表現されていたが、時代の経過とともに舞踏と呼ばれるのが一般的になった。

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