なにコレ!? 夢へ、挑戦できる社会に 「あの夏を取り戻せ」プロジェクト

なにコレ!?

 3年間抱えた悔しさに終止符を――。急拡大した新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった2020年夏の全国高校野球選手権大会。「甲子園」への道を断たれた元高校球児が、自分たちの手で「甲子園大会」を実現しようというプロジェクトに取り組んでいる。一人の元球児の熱意が共感を呼び、夢物語がどんどん現実味を帯びて、今年11~12月の大会実現にこぎ着けようとしている。【成城大・中薗三奈】

元球児の「宣言文」

 プロジェクトの名称は「あの夏を取り戻せ~全国元高校球児野球大会 2020―2023~」。発起人の武蔵野大3年、大武優斗さん(21)は3年前の夏、夢を奪われた高校球児の一人で、当時、東京都の城西大付属城西高校野球部の3年生だった。大武さんは当時を振り返り「12年間野球をやってきて、心の支えになっていた甲子園がなくなると知らされた時、何のために野球をやってきたんだろうとか、今までの努力が全部無駄だったんじゃないかという感覚になった」と語った。

計画始動の契機となったのは大学入学後の22年6月。高校時代の野球部の仲間と久しぶりに会った時のこと。どんなに楽しい話をしていても、最後は自分たちが参加できなかった甲子園の話題になったという。

 「僕自身もそうだったように、2年たってもやりきれない思いを抱えた仲間がたくさんいることが分かった」。大武さんはその日の夜中、大学内のチャットツールに、「僕の最後の夏の大会はまだ行われていない。だから、やります」という熱い思いを宣言文にして書き込んだ。「僕らの代の誰かが声を上げるべきだと思った」からだという。

大武さんは、自身のことを意志の弱い人間だと話す。だからこそ、多くの人の目に触れる場で宣言し、自分を追い込む環境を作ったという。この宣言文が読んだ人の心を動かし、ある人は身近にスポーツイベントに精通した人がいると、ある人は力になりたいと連絡してきてくれた。

「甲子園」が動いた

 2カ月後の8月、プロジェクトが正式に発足した。大武さんは、当時夏の地方大会に代わって実施された都道府県ごとの独自大会の優勝校を中心に、参加呼び掛け先のリストを作った。そして仲間に、各校に知り合いがいないか呼び掛けたり、SNS(ネット交流サービス)を通じて参加を呼び掛けたりした。

ただ、本当に大会を開けるのか、確約できるものはなかった。開催趣旨への賛同や参加希望が徐々に集まる一方、「ただの大学生が開催するのは無理でしょう」といった大会実現を疑問視する意見や、参加をためらう声もあったという。

 そこで、大武さんは周知のために全国の新聞、テレビ、ラジオ各社に幅広く電話をかけ、取材依頼をした。地道に依頼を続けた結果、あるニュース番組への出演が決まった。それをきっかけに多くのメディアからの取材や、大会参加への問い合わせがあり、発足からわずか2カ月で44都道府県・46チームの参加希望校が集まった。計画を始動させた当初は「現実性がないという理由で取り合ってもらえなかった」という甲子園球場にも、46チームを集めて再度連絡した際には、利用実現に向けた正式な進め方を案内された。

そして今年3月、甲子園の利用が正式に決まり、計画は一気に具体性を帯びた。11月29日に甲子園で出場全チームが集まりセレモニーを実施。同30日、12月1日には兵庫県内の球場で、各チーム1試合限定の交流戦を行う日程が固まった。会場費や選手の交通費や宿泊費などから成る大会費用は7000万円を見込み、今月7日から12月1日までの日程でクラウドファンディングを行っている。

 宣言から1年。計画がここまで進んだのは、大学1年時に起業した経験もある大武さんの行動力によるところが大きい。「(大武さんは)馬力が半端ない人。ここまで突き進む力がある人って他にいるのかなと思うくらい」。そう話すのは、同大学2年で運営メンバー幹部の宇佐美和貴さん(22)だ。大武さんの宣言文を読んで、いち早く連絡をした一人でもある。ただ大武さん本人は「僕がやっていることなんて、何か能力がなければできないことでも何でもない。できることをただ愚直にやっているだけ」と淡々と話す。

 大会実施に向けたさまざまな準備は、SNSを通じて全国から集まった18~22歳の若者の手で進められている。甲子園の利用が決まるまでは大会の認知度が思うように上がらず、苦しんだ時期もあったが、団結して乗り越えた。「あの時期を乗り越えたからこそ、より結束力が強くなっている気がする」と宇佐美さん。また大武さんも「支えてくれるメンバーがいないと成り立っていないと本当に思う」と感謝を口にした。

 大会実現で果たしたい彼らの目標は二つ。一つは、夢を断念させられた高校球児、特に最後の夏にかけた3年生の悔しい思いを晴らすこと。もう一つは、若者が挑戦できる社会をつくるきっかけになることだ。大武さんは「無理だと思われるようなことをやり遂げた成功事例を作ることで、若い人たちに希望をもってもらいたい」と話している。

PAGE TOP