読見しました。:肉じゃが

記事

 疲れて晩飯を作る気力がない。コンビニ飯では物足りない。そんなとき、決まって足が向く場所がある。家から徒歩5分の小さな定食屋。古めかしい木の扉をガラガラと音を立てて開けると「いらっしゃいませ」と朗らかな声でかっぽう着を着たおばちゃんが迎えてくれる。

 この道50年以上のベテラン。50~60代の常連客は食事をしながら思い思いに時間を過ごしている。カウンターには大皿が並べられ、日替わりの総菜が豪快に盛られている。私はいつも、コロッケと肉じゃがで迷う。どちらもうなるほどうまいのだ。

 早朝からの就職活動で疲れていたある日、店まで歩く気力だけはあった。「コロッケ定食。ご飯は少なめで」。いつもより食欲はわかなかった。頭の中は食事のことより就活のことでいっぱい。珍しくスーツ姿の私に何も言わず、おばちゃんは慣れた手付きでコロッケを揚げる。

 コロッケを食べ終えた頃、私の前に肉じゃがを盛った皿が置かれた。注文した覚えはない。

 「え?」と思わず声を出し驚いていると、おばちゃんがニヤリと笑う。いつもの食欲が戻ってきた。カツオだしがきいた肉じゃがの優しい味が、じんわり心に染みわたった。【一橋大・梅澤美紀、イラストも】

PAGE TOP