制作当時の祭式や文様が完全復元された東大寺法華堂の国宝・執金剛神立像=東京芸術大学大学美術館で
胴体に施された繊細な文様や鮮やかな彩色。赤みを帯びた顔に怒りの表情を浮かべるこの仏像は、東大寺法華堂(奈良市)の秘仏・執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)(国宝、奈良時代)を、制作当時の姿へと完全復元したものである。復元制作に取り組んだのは、東京芸術大学大学院(東京都台東区)の「東大寺法華堂執金剛神立像完全復元プロジェクト」。9年に及ぶ完全復元までの取り組みと意義を紹介したい。【立教大・明石理英子】
プロジェクトを推進したのは、同大学院の保存修復彫刻研究室。同研究室では、主に、仏像を中心とした日本の彫刻文化財の修復や復元制作を手がけている。
執金剛神立像は、8世紀中ごろに作られた高さ約173センチの塑像であり、天平期の仏像彫刻の最高傑作の一つとされている。実物は年に1度、12月16日にだけ公開される。
塑像とは、骨格となる心木に粘土などを重ねて作る像であり、その構造上、もろく壊れやすい。この像も粘土製だが、保存状態が良好であったために、完成当時の彩色や金箔(きんぱく)が一部残っている。
科学調査を実施
完全復元の端緒は2011年度。同研究室が東大寺、東京理科大学とともに、彩色に使われた顔料などを調べる科学調査を実施したことだった。その結果をもとに、文様や彩色の復元図が作成され、さらに三次元の復元CG(コンピューターグラフィックス)によって映像化された。これらの成果を踏まえ昨年度には、当時博士課程に在籍し、現在は同研究室の技術職員である重松優志さん(34)が、同像の本体を当時と同じ技法で復元。そして今年度、彩色担当の飯沼春子講師(43)を中心とする完全復元プロジェクトが始動し、復元像に文様や彩色を施す作業が行われた。
同プロジェクトを行うにあたり、資金確保のため、約2カ月間実施したクラウドファンディングでは、1700万円を超える寄付が集まった。
朱色ひとつに感性も
科学調査が行われたとはいえ、同像には未解明な部分も多い。例えば、朱色が使われていることが調査で明らかになったとしても、その朱色がどの程度の赤みを帯びていたのかはわからず、作り手が推測して彩色しなければならない。そのため、作品の完成度は、作り手の技術と感性に委ねられる部分が大きいという。
作業のなかで特に困難だった点として、飯沼講師は、眉毛やひげなどの顔の毛を描くことを挙げた。「立体的なものに彩色を施す際は、凹凸によって生じる距離感を意識せねばならない。そのため、より立体的に見せるためにはどこに線を描くかがとても重要になる」
執金剛神立像が復元されたのは今回が初めてではない。鎌倉時代には当時を代表する仏師の快慶が、明治時代の1891年には彫刻家である竹内久一が試みたが、どちらも木造で、形状の再現度も高くなかった。
そうした先例を技術面で大きく上回った今回の復元制作について、同研究室の籔内佐斗司(さとし)教授(67)は「模刻制作を通して過去を振り返り、そこでの学びを未来へとつなげていくことは、日本文化を伝えていくうえで大きな意味がある」と話し、その歴史的な意義を強調。また、大学という教育機関でこうした取り組みを行うことについて、「本当の意味での文化財保護は、修復の技術がある人を育てること。昔の日本人が持っていた技術や知恵を若者が獲得し、よみがえらせることは大切だ」と力説した。
そんな籔内教授のもとで学んでいる、修士課程1年の三好桃加さん(24)は、「昔に作られた仏像が今も残っているのは、人の手によって守られてきたから。文化財を未来へ受け継ぐ手助けをできれば」と話す。また博士課程1年の朱若麟さん(32)ら中国からの留学生3人は、中国には文化財の保存修復を学べる教育機関がなかったため、この研究室に入ったという。朱さんは「中国では文化大革命で破壊され、修理されていない仏像が多い。将来、中国へ帰ったら、そうした仏像を修理し、研究していきたい」と語った。
29日まで展示
完全復元された執金剛神立像は、今月19~29日に東京・上野の同大学の大学美術館で開催されている籔内教授の退任記念展で展示されている。同像について、埼玉県から訪れた女性(48)は「施された彩色がまばゆく、制作当時の姿に思いをはせた」と感想を語った。また東京都内から訪れた男性(45)は「作品そのものが文化の継承を体現しているように感じた」と感激した様子で話した。この像は、来年の春に東大寺へ寄贈される予定だ。
新しいものを追求することで創られる未来もあるが、過去を見つめなおすことで開かれる未来もある。過去の歴史の積み重ねを体感しにくい現代において、1300年の時を超えて完全復元された執金剛神立像から感じ取れることは、多いのではないか。