読見しました 家族の絵・祖父との別れ

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先日、部屋を掃除している時に1枚の絵がベッドのすき間から見つかった。その絵は私が幼稚園の頃に描いたもので、家族5人のうち、母と私と兄2人はクレヨンを使いカラフルに、心を込めて描かれている。しかし、隅っこの父だけは黒鉛筆一色のみで描かれており、少し奇妙な絵となっている。

 幼少期を思い返すと、父との思い出が少なかった。実際父は仕事一筋で、あまり家庭を顧みなかったと母が不満を口にしていたことを思い出す。しかし私が中学2年生の時、父が脳梗塞(こうそく)で倒れた事件をきっかけに、父は自ら積極的に家族とコミュニケーションをとるようになった。生死の境をさまよった際に、家族の懸命な看病を受け、初めて持てた会話の機会。腰を据えて話すうちに、家族と過ごす時間の大切さに気付かされたという。

あの一件以来、父はテレビを見ている時、ご飯を食べる時、事あるごとに話しかけてくる。今までそんな接し方をしてこなかった父が息子に声をかけるのには、大きな勇気が必要だっただろう。そんな父を私は尊敬している。

 この絵を見た時に、父はどんなふうに思っただろうか気になった。私に悪気がなかったにせよ、きっと悲しませてしまったに違いない。来年の父の日にはもう一度、家族5人を絵に描こう。そして誰よりも色とりどりに父を描いてプレゼントしたいと思う。【国士舘大・太田響】

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初めて身近な人の死を体験した。母方の祖父の死で、享年98だった。99歳、白寿の誕生日のわずか4日前の出来事だった。

 近所に暮らすものの、私が物心ついてから祖父と何か話をした記憶はほとんどない。いつも寡黙で、話しかけても「うん」とか「そんなことない」とか、短い言葉でしか返事をしなかった。祖母や母に取る態度も同じ。自ら話を切り出すことは一切なかった。ただひたすら黙って、一日中リビングの端の方に座り、差し込む木漏れ日をじっと見つめるだけ。でも決して人と関わることが嫌だったわけではない。私があいさつすると必ずほほえんでぺこりとお辞儀をしてくれた。

祖父の死によって、ひとつ気がかりなことができた。それは祖母の存在だ。祖父の死に際し泣くことはなかったが、その日以来、カールしていた長い前髪がしゅんと自然に垂れ下がってしまった。また以前は祖父と椅子をピッタリくっつけて仲むつまじい様子だったが、今では少しのことで笑顔を見せることもなくなった。

 何も話さず、ただ座っているだけの祖父だったが、最愛の人を失った祖母の悲しさは計り知れない。親戚が心配し様子を見に来た時も、祖母は一人うつむきながらため息をつく。家の静かさは今も昔も変わらないが、彼女が心の中で発する悲痛な叫びが聞こえる。【成城大・新井江梨、イラストも】

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