新人記者、今思うこと/上

新人コラム

 梅雨に入ってじめじめした日々が続くが、「キャンパる」編集部は次々と新たなメンバーを迎え、爽やかな風が吹いている。取材活動や記事執筆に挑む新人学生記者たちの「今、思うこと」を、2回に分けてお届けする。【まとめ、上智大・古賀ゆり】

広がった興味と視野

 大学生活1年目を終え、自分でも知らなかった自分の新たな一面を見つけることができた。

 高校までは価値観の合う人とだけ関わっていれば良く、同じ地域に生まれた者同士なじみやすい世界だったと思う。そんな狭い世界から上京して始めた大学生活は、一気に広い世界に放り込まれたようだった。

出会う人みんな、出身地や生い立ちはバラバラ。年齢や好み、外見も違うが、怖がらずに自分から心を開くことでお互いに分かり合うことができるし、その違いに感銘を受け、勉強になることもある。そう分かった瞬間、自分からいろいろな世界を経験して視野を広げていきたいと思った。

 高校までの自分は自ら動いて新たな環境に飛び込もうとするタイプではなかった。しかし、今なら自分が興味を持ったことには臆せず挑戦しようと思える。キャンパるに入ったのも私の新たな挑戦である。今はこの感情を大事にして、さまざまなことを経験し、向き合っていきたい。【明治大・伊藤優里】

「縁」育て挑戦続ける

 小学生の頃に「自分を表す漢字」を調べて発表する機会があった。そこで何人かが「縁」を挙げ、地域とのつながりを話すさまを見て、私は強い疎外感を覚えた。家庭の外に結びつきを持たない自分の異質性をはっきりと感じたからだ。

 幼稚園時代から6度の転校を経験した私にとって、「縁」は砂上の楼閣を意味していた。それはいつか手放さなければならないものであり、よそ者である私と他者を無意識に隔てる指標でもあった。

転居を繰り返す日々には多くの別れがあった。そんな暮らしを「縁」に恵まれない孤独なものだと感じていたが、今は違う。けして根無し草だったのではなく、さまざまな地で細い根を伸ばし、その根が強固な地盤を作っていたのだろう。気づけば私には多くの居場所があった。

 「縁」にはふち、へりという読み方もある。物の端を意味し、そこからものごとの始まりや新たな出会いを表すようになったと聞く。大学生活も折り返しに入ったが、キャンパるとの「縁」ができたように、いつまでも挑戦し続ける人でありたい。【早稲田大・井上亜美】

3年…マスクの功罪

 電車で目につく広告がある。「もう笑顔は自粛したくない。」。マスクを外した女性がほほ笑む歯科矯正の広告だ。

 ただ、今もマスク姿の人は多い。その中にはきっと「顔パンツ」状態の人もいるのではないか。顔パンツとはマスクを下着と同一視し、外すことを恥ずかしく思う心理状態の比喩だ。私もマスクを外すことに若干抵抗がある。

 マスクを外すメリットの一つに表情が伝わりやすいことが挙げられる。ところが、これは人によってデメリットになる。マスクで口元を覆い、表情を隠すことに良さを見いだす人もいるのだ。

 思い返せば、コロナ禍の3年間で幾度となくマスクに助けられた。例えば何か不満があるとき、不満げな口元をマスクで隠しつつ、目だけ笑顔風に細めることで雰囲気を守ることがあった。

 しかし、このままマスクをつけ続けていては本音で話せる相手がいなくなってしまうかもしれない。だからこそ思い切ってマスクを外す機会を増やしてみようと思う。皆さんはどうしますか?【上智大・清水春喜】

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