すたこら 卒業

すた・こら

 コロナ禍以前の日常を取り戻しつつある中で迎えた卒業シーズン。キャンパる編集部も旅立ちの季節を迎えた。実り多き学生生活に別れを告げ、新生活の入り口に立つ学生記者に、それぞれの胸の内をつづってもらった。

頑張ってくるね 立教大・明石理英子

 

 今、住んでいるこの町に引っ越してきたのは、6歳の時。1歳半から4年半もの間、父の仕事の都合でマレーシアで暮らした。年中暖かく、ブーゲンビリアが咲き乱れる――。そんな世界しか知らなかった私が、初めて桜の花を見たのも、冬の寒さを知ったのもこの地であった。

 気づけば18年。こぢんまりとしたこの町でたくさん笑い、時には悩み、大人になった。だが先日、就職先から初任地が告げられ、あと数カ月でここを離れることが決まった。

 初めての1人暮らしに不安がないと言ったらうそになるが、見知らぬ土地での生活に胸が躍る。暇さえあれば、名物や名勝を調べてしまうし、賃貸物件の間取り図を眺めるのも楽しい。でも、子どもの頃に遊びに行った公園や、よく家族と買い物へ行くお店が目に入ると、つい思ってしまう。「もういつでも立ち寄れる場所ではなくなっちゃうんだ」と。

 東京都内とは思えないのどかな雰囲気が、居心地よかった。町に漂う何とも言えない田舎くささや、さびれかけた商店街ですら、いとおしく感じる。やっぱり、ちょっと寂しい。

 母校である小学校の校庭には、立派な桜の木が植えてある。春になると、何年たっても変わらず美しい姿を見せてくれるが、今年もちゃんと咲くだろうか。新天地へ赴く前に、伝えたい。「行ってきます。頑張ってくるね」

自分で扉を開いてみる 慶応大院・瀬戸口優里

 「三つ子の魂百まで」ということわざがある。私の「三つ子の魂」は、面白いと思ったことを他の人に伝えたがるところかもしれない。幼稚園の頃から今に至るまで、その日面白かった出来事を小一時間は話すところが変わらない、と両親は言う。

 小学生の頃、宿題の日記を書くのが好きだった。旅行に行った時などは特に熱が入り、楽しかったことを全部担任の先生に説明すべく、1日分を十数ページ書きつづった。今でも旅先から、小学生時代の日記のようなメールを書く。文章を書くことで、日々生活の中で感じる面白さを身近な人と共有してきた。

 キャンパるに所属したこの3年で、身の回りで起きる面白いことを受け止めるほかに、自分で興味を持って扉を開いてみる面白さを知った。取材の時は、事前に質問を考える。取材相手に興味を持って、想像を膨らませる必要がある。でも、実際に話を聞いてみると、想像しなかった答えが返ってくる。「なるほど!」という瞬間がある。自分からつかみに行くことで出会える面白さもあるのだ。

 興味を持って、尋ねてみて、面白いと感じて、人に伝えたいと思うのが、24歳の今の私だ。三つ子の頃と根っこは変わらないが、幹回りは大きくなったと感じる。この根っこを枯らさず、枝を増やしながら、いつしか100歳を迎えられたら最高だ。

揺るぎない信念持てるか 早稲田大・榎本紗凡

 先月、25年ほど前に封切られた超大作映画の「タイタニック」がリマスター上映されるという情報を聞きつけ、半年ぶりに映画館に赴いた。鑑賞したことがない名作を大スクリーンでぜいたくに堪能できる好機だと感じ、客席中央の特等席を予約した。コロナ感染防止のため間隔を空けて着席する決まりがあったが、その解放感が逆に心地よかった。

 ロマンス映画とうたわれていた本作品。私にとってはトラウマになりそうな衝撃的な内容だった。立体(3D)映像を駆使し、乗客らが生きたまま極寒の海に投げ出される様子が生々しく描かれている。恐怖のあまり感動する余裕がなかったというのが率直な感想だ。

 乗客の半数しか乗れない救命ボートに誰が乗るか。極限状態での選択が迫られる中、船と運命を共にすることを静かに受け入れる乗組員、音楽を奏で続ける楽団員、愛する人の目の前で海底に消えてゆく主人公らの死に様が印象的だった。他者を思い、なすべきことを最後まで果たした人々を目の当たりにし、たんたんとした生活を送ってきた自分自身になぜか嫌気がさした。

 今春社会人になる。このまま先へ進んで良いのか不安にかられる。さまざまな思いを抱えて死んだ乗客たちが脳裏をよぎる。揺るぎない信念を持つこと、誰かを愛し抜くこと、私にもいつかできるのだろうか。

楽しさと充実の1年間 大正大・中村勝輝

「この1年、よく頑張った」。私は自分自身にそう言いたい。

 大学4年生と言えば、就職活動と卒業論文が最大の関門で、それさえ終わってしまえば、残りの学生生活はゆとりの時間を満喫できると思っていた。けれどこの1年は本当に、忙しい日々を送ったなと思う。

 就活と卒論、記事執筆に加えて、昨年夏からキャンパる運営を担う立場となった。就活が一段落した後は、大学の就職課の手伝いをすることにもなった。アルバイトも含めると、スケジュール帳は予定で常に真っ黒だった。

 そうした日々を送っていても、投げ出したいと思うことはなかった。そんな私の姿を見ていた周りの友人や知人からは「責任感が強いね」と言われた。けれど、私は嫌々ながら多忙な日々を送っていたのではない。私の大学生活は中盤の2年間、コロナ禍で何もできない日々が続いた。そのせいか、最後の1年がどれだけ慌ただしくても、私は楽しさと充実感を感じていたのだ。

 やるべきことが多い日々は楽しい。私はこの1年でそう思うようになった。そして、初めて自分を褒めてもいいと思えた。ただ、忙しい日常は嫌になることもある。けれど、これから何十年と続く、せわしない日々もいつかは終える。その時にまた、自分を褒められる私でいられたらと願う。

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