ここからfrom現場 ウクライナにぬくもりを 国内21人の学生団体、防寒着5000着を発送

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 ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから1年が過ぎた。戦争が長期化し、ウクライナの人々は厳しい冬を過ごさざるを得なくなった。そんな現地に少しでもぬくもりを届けようと、日本から防寒着を送る活動をしている学生たちがいる。活動にかける彼らの思い、ウクライナへの思いを聞いた。【慶応大院・瀬戸口優里】

現地の声を聞いて

 防寒着の寄付や募金への協力を呼びかける「防寒着プロジェクト」を展開しているのは、「Student Charity for Ukraine」という学生団体だ。日本各地の学生21人が参加する同団体は昨年11月に発足し、12月末までのわずか2カ月弱で9000着以上を集め、5000着以上を発送した。今、ウクライナに衣類が到着し始めている。

 メンバーの多くは、昨年10月にオーストリアやポーランドでウクライナからの避難民を支援したボランティア仲間。団体の代表で東京大学3年の三宅大生さん(22)もその一人だ。

 三宅さんは元々、インド独立運動の指導者・ガンジーを尊敬しており、ボランティア活動に積極的に参加してきた。また専門が政治学のため、ロシアによるウクライナ侵攻の歴史的な背景などに関心を寄せていた。そんな折、ウクライナからの避難民を支援するボランティアプログラムを知り、参加を決めた。

 派遣されたのは、ウクライナと国境を接するポーランドの都市メディカ。入国手続きをする避難民のために、手製のサンドイッチやスープを夜通し配った。

 三宅さんの頭から離れない出来事がある。ある夜、10代半ばくらいの少年が「日本から来てくれてありがとう。ウクライナのことを思ってくれてありがとう」と、簡単な英語で話しかけてきた。言葉や瞳から真心が伝わった。

 「もらったものの方が多かった」。恩返しをしたいという気持ちも、団体を設立する原動力になった。

 活動を始める時に気を付けたのが、現地に必要なものを届けることだ。現地で支援活動をしている人に不足しているものを書き出してもらった。その中で、自分たちでも集められそうだったのが防寒着だった。

母校で提供呼びかけ

 最初は1500着の防寒着と、送料の80万円を集めることを目標にした。送料はメンバーで自腹を切る可能性も視野に入れていた。しかし、いざ始めてみると反響は大きく、目標の6倍もの衣類が集まった。「多くの人が応援してくれたおかげ」だと三宅さんは言う。

 メンバーも奮闘した。現地のことを伝えたいと、それぞれ母校の小学校で講演し、衣類の提供を呼び掛けた。三宅さんの母校では400着ほどが集まった。その多くが、ウクライナの避難民の人々が必要としている子ども服だった。

 同団体には、ウクライナ南部のザポロジエ州出身で、元々三宅さんと知り合いだったトポリアン・テティアーナさん(26)も参加している。テティアーナさんは日本思想を専門とする東大の研究生で、2021年7月に来日した。侵攻開始当時、ウクライナには母や姉妹がおり、自分だけが安全な日本にいることを申し訳なく感じた。何かしたいと思い、団体への参加を決めた。

 多くの衣類が集まった分、仕分け作業が大変だった。ウクライナは日本よりはるかに寒い。現地の寒さを知るテティアーナさんが「これは春用」「これは冬用」と判断した。春物の衣類はテティアーナさんのつてで、在日ウクライナ大使館の出す船便の片隅に載せてもらった。3月上旬にウクライナに届く予定だ。

寄付金500万円超す

 メンバーが一番苦労したのは、税関手続きだ。ウクライナへの支援物資が免税対象に指定されており、支援物資であることを証明する書類が必要だった。未知のことで作業は難航したが、手続きの結果、物品と輸送費に課される関税が半額になった。寄付金は550万円近く集まり、まだ250万円ほど残っている。避難民支援に取り組む現地の団体に寄付するつもりだ。

 現地に衣類が届くまで、三宅さんは「他のものの方がよかっただろうか」と不安だった。しかし現地で衣類を配布している支援団体から話を聞いたり、現地の人が服を持っていく写真を見せてもらったりしているうちに無事届けられてよかったと思うようになった。

 実際に活動してみて、三宅さんは、自分たちが「ウクライナの人々の力になりたい」と願う人たちと現地をつなぐ存在になっていると感じている。テティアーナさんは「日本で同じことが起きたら、きっと世界中の人が助ける。今は、ウクライナを支援してほしい」と話した。

 テティアーナさんの家族は無事に国外に避難できたが、家は失われた。自身は来年度から日本の企業で働く。戦争が終わるまで故郷に帰れそうにはない。

 しかし、三宅さんらと活動したことで、テティアーナさんは良い意味で人生が変わったとも感じているという。「他の人のために自分の全力を尽くせたことに満足している。ウクライナの人のことを考え続けて、人に優しくなった」

 次の冬こそ、ウクライナの人々が平和に暖かく過ごせることを祈るばかりだ。

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