卒業すた・こら/下

 大学卒業は大人への大きな一歩。高校卒業、成人式と大人になったと実感する節目はあったが、いまが一番大きな境目だ。これからは社会人として輝く。新天地へ羽ばたくキャンパらーは何を思うのか。


「私」決めるのは自分

 私のいいところは、どんなときでもその状況を前向きに受け入れられるところだと思う。加えて単純だから、基本的には常に幸せを感じている。元からこんな性格だと思われることも多いが、実はそうではない。

 中学2年生の時、部活をやめた。居心地が悪かったのだ。「こういうやつはこれから先何をやってもうまくいかないんだよ」。退部する日、苦手だった顧問にかけられた言葉。反論したかったができず、涙をのんだ。

 どうにかして見返したい。あの決断はまちがっていない、それでもうまくやっていけると胸を張りたい。負けず嫌いなところが私を突き動かす。そしてある時ふと気づいた。根本的な考え方に変化が必要だと。

 それから、多少強引でも物事を楽観的にとらえるように努めた。どこかで聞いた、「楽しいと思い込むことも大事」という話を信じて。身の回りにあふれる小さな喜びに自然と心が動かされるようになったのはここ数年のことだ。ポジティブな考えが当たり前になってきたことで、生きやすくなったように感じる。

 今こんなふうに思えているのは、悔しいけれどあの日の言葉のおかげだ。人は変わっていけると身をもって知り、強みとなるものを手に入れることができた。

 これから先、ずっと続いていく人生。どんな「私」で歩いていくのか。決められるのは、自分自身だけだ。【早稲田大・廣川萌恵】


遠回りして見つけたもの

 「もう一度大学生活をやり直せたら?」。キャンパるの卒業祝い冊子のアンケートにあった問いだ。その設問を見て、思わず手が止まった。

 私の大学生活は、一言で語るなら「泥臭い」。学業からサークル、アルバイトまで片っ端から手をだした。けれど、なかなか結果に結びつかず、いつも空回り。悔しさとふがいなさから泣きながらご飯を食べたこともある。憧れや「キラキラ」からは程遠いものだ。

 けれど、あがく過程で気づけたことがあった。それは、いろいろな感情が揺れ動く経験。そして、自分を受け入れてくれる人たちの存在。「正しい道」を歩むだけでは見えなかったことに目を向けられた。がむしゃらな日々の中に、確かに光を放っている瞬間がある。

 「学生生活は、たくさん遠回りをしてください」。高校時代の恩師から言われた言葉だ。当時は実感がわかなかったが、今はその言葉が響く。無駄だと思っていたはずの経験がいつしかつながって、線になり、それが私だけの絵を描いていた。その絵は、心の柔らかいところにしまわれる、大切な宝物になったはずだ。

 もし、4年前に戻れたら、要領よく大学生活を歩むことだってできるかもしれない。でも、それだけではないと今は思う。だから、こうつづろう。「遠回りしたからこそ、今の私がある。だから、やり直しません」と。【早稲田大・今給黎美沙】


自分の「したい」見失わず

 「熱量を感じられない」。最後の取材記事。その原稿を読んだ同期や編集長から返ってきたコメントだ。

 企画を出すときや原稿を書くとき、意識してきたのは「書きたいもの」より、時事性や読者が知りたいであろうことなど「書くべきもの」。聞こえはいいが、自分の「好き」を表明することを恐れてきただけだ。

 対して同期の一人は、常に熱意ファースト。企画会議の段階から取材対象への愛が止まらない。それゆえ空回りすることもあったが、目を輝かせて取材にいそしむ彼女はまぶしい存在だった。そんな彼女から届いた原稿への指摘は「川平が書きたいのはどこ?」。

 伝わらなかった。4年間やってきてこれか。悔しさで視界がにじむ中、つたないながらも自分の思いを伝えた。「それが読みたい」という返信は「好き」の表明への恐れをかき消してくれた。

 粘り強く原稿を見てくれる彼女たちからの指摘に一つ一つ応じながら「書きたいもの」を言葉にしていく。そうしたやりとりを経た記事がこの紙面に載っている。私の思いは読み手に届いているだろうか。

 あしたから新生活が始まる。書くことからは離れるが、心の内で「べき」ではなく「したい」を育むことはやめないでいたい。悩んだときに勇気をくれるのは、きっとこの紙面だろう。【一橋大・川平朋花】

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