しょうらいのゆめ
「しょうらいのゆめ」。自己紹介カードを渡された小学生の私は戸惑っていた。見回すと、サッカー選手、アナウンサー、漁師、花屋……。空欄は許されないようだった。苦し紛れに映画監督と書いた。映画は好きだが監督になりたいと思ったことはない。まるっきりのうそに、周囲が首をかしげる様子を鮮明に覚えている。
その後もこの問いは「進路」や「ライフプラン」と名前を変えて襲い掛かった。小説を読めば「作家になりたいの?」。演劇をやれば「役者になりたいの?」。どうやら人というものは、将来のために生きているらしい。では、夢を持ったことのない私は、どう生きたらいいのだろうか。
私には、未来を想像する能力が生来欠けているようで、いくら想像を巡らせても、数年後の自分すら霧の中にあって輪郭がない。夢を持つこと自体が夢物語のようにすら思える。いつしか「夢は?」という質問には、ヒモになりたいなどと冗談を飛ばすだけになった。皆笑ってくれるが、それだけである。
そして、「しょうらい」はあっという間に到来した。恐れていた就職活動が始まり、「しょうらいのゆめ」は「志望業界」と名前を変えた。空欄は許されない。夢なき就活。目的地も持たぬまま、ただ歩けと言われているような気分だ。
夢は向こうからやってくるのか。それとも自分で見つけるのか。二十歳を超えて初めて手にする「しょうらいのゆめ」。それが輝くものであるのかすら、今の私には分からない。【東洋大・佐藤太一】