2019/08/13 戦争を考える(中・2)

「戦争を考える」取材班

一橋いしぶみの会 「知り合い」記憶たどる

 「還らざる学友よ 君たちの志は ここ国立に 永遠に生き続ける」。一橋大(東京都国立市)の施設「佐野書院」に2000年、建立された戦没学友の碑に刻まれた言葉だ。碑の前で毎年春に追悼会を催し、志半ばに散った仲間をしのぶ。建立翌年には追悼会を催す目的に「一橋いしぶみの会」が結成された。竹内雄介さん(69)はそこで世話人代表を務める。


 竹内さんは一橋大を1973年に卒業、08年からいしぶみの会で活動を続けている。「戦没学友のこと、その時代の大学や社会のことを次の世代に伝える機会を作ってほしい」。戦後70年を前にした14年春の追悼会で、竹内さんは、学徒出陣で召集された会員から言われた。若い人たちに伝えるには、と世話人らで相談し、15年の大学祭「一橋(いっきょう)祭」で企画展を行った。

 企画展では東京商科大(一橋大の前身)での学生生活が分かる卒業アルバムや学内紙・一橋(いっきょう)新聞等の資料を展示した。竹内さんらはこの企画展での資料集めの際、学内の懸賞論文で1等をとった人、部活動の代表などといった一橋新聞に名前の載っている戦没学友が目に留まった。時を超えて彼らと「知り合った」と感じたことで、当時をその学生たちがどう生きたのか気になった。そして16年からは彼ら個人の経歴を調べ、ライフストーリーとしてパネルにすることにした。

戦没学友の生活 掘り起こし

 現在判明している戦没学友は、在学生、卒業生を含め835人。そのうち企画展で調査できているのは30人ほどだという。亡くなった人たちの人生をどのようにつかむか。竹内さんらは、まず戦中派の卒業生が中心になって作成した戦没学友名簿で誰がどこで亡くなったのか、在学中どのような活動をしていたのかを調べた。これをもとに卒業アルバム、一橋新聞、クラブ周年史、同窓会の会員名簿、同期会文集をたよりに情報を集めた。遺族と連絡がつけば日記や手紙をみせてもらう。こうして少しずつ、その時代を生きた学友の生活を掘り起こしていった。

 昨年の企画展で取り上げた川島荘太郎さん(学徒出陣当時東京商科大2年)は、ベニヤ板のモーターボートに爆弾をのせて米軍の艦船に突っ込む水上特攻部隊にいたことが分かっていた。しかし川島さんに関する資料がほとんどなく困っていた。

 助け舟となったのは、碑を建てた際の寄付名簿だ。そこに「川島荘太郎遺族」とあり、電話番号も記載されていた。連絡をとると、荘太郎さんの弟につながった。彼は、同じ部隊で生き残り戦後実家を訪ねてきた隊員から聞いた話を教えてくれた。こうしてパネルを完成させることができたという。

 本人たちを知る家族も亡くなっていたり遺品も処分されてしまったりすることが多い。そんななかでジグソーパズルのように情報を埋め合わせ、人物像を浮かび上がらせようと努めている。

 一橋祭の企画展では現役の一橋新聞部員もかかわる。パネルの設営や画像の貼り付け、誤字脱字の校正等原稿をパネルに仕上げるのは新聞部にお願いしている。15年には新聞部の提案で、戦中派の卒業生へのインタビューを放映。映像は今も投稿動画サイト「ユーチューブ」で見ることができる。

 竹内さんは「戦争を体験した世代と戦争を知らない世代の間をどうつなぐのかが課題」と語る。自分で調べ、戦没学友と「知り合う」ことで個々の戦争の記憶が忘れられない身近なものになる。「そのためにもこの活動に若い人がぜひ参加してほしい」

 私たちのような戦争を直接知らない世代が戦没学友と「知り合う」ことは、戦争を考える貴重な機会だと感じた。


■学徒出陣
 第二次世界大戦終盤の1943(昭和18)年10月から兵力不足を補うため、政府は在学途中の主に文科系学生の徴兵猶予の停止を公布した。学徒兵の総数は10万人以上とも言われるが、正確な数字は分かっていない。東京商科大では、1000人余りが出陣した。

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