インタビュー・会いたい人 若い力で多様性広めて アジア初の女性宇宙飛行士 向井千秋さん

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宇宙関連の研究に今も情熱を燃やし、その意義を笑顔で語る向井千秋さん=東京都新宿区で、立教大・宇野美咲撮影

アジアで初の女性宇宙飛行士として活躍された向井千秋さん(73)。数々の困難を持ち前の明るさで乗り越え、また偉業を成し遂げても飾らない人柄に強くひかれた。記者にとって憧れの女性だ。宇宙飛行士としての任務を終えた今も宇宙分野の第一線で活躍し続ける向井さんに、お話を伺った。【上智大・古賀ゆり】

研究への情熱、今も


 向井さんは子どもの頃、弟が病気で足が不自由になったことがきっかけで医者を目指すようになった。そして、慶応義塾大学医学部卒業後は同大の大学病院で心臓血管外科医として勤務。幼い頃から星や宇宙に興味を持っていたわけではなかったという。

「人生ってさ、チャンスがどこに転がっているか分からなくて。当直が終わった日の朝、何の気なしに新聞を開いたら、小さな記事で日本人宇宙飛行士を募集するって書いてあった。そこから次の夢が始まっちゃったんだよね」

 日本での初の宇宙飛行士を募集したのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の前身である宇宙開発事業団(NASDA)。アメリカのスペースシャトルの一部を借りて日本独自の宇宙科学実験を行うためのものであった。自衛隊の隊員やパイロットのような特殊技能の保持者ではなく、一般の人が宇宙飛行士に応募できることに驚いたという。

 「社会で普通に働く人をテクノロジーが宇宙まで連れて行って、そこで仕事ができる。そういう時代に生きているということにすごく感動して」と、募集記事を見た時の気持ちを生き生きと話してくれた。自分も宇宙から地球を見てみたいなと思い、「宝くじを買うような気持ちで、ダメもとで」応募したという。ただ応募にあたっては、英語を猛勉強したのだそうだ。そして1985年8月、533人の応募者の中から、毛利衛さん、土井隆雄さんと共に選ばれ、日本人宇宙飛行士の1期生となった。

 同年11月にNASDAの職員に採用され、国内外での訓練が始まった。そして翌年には同医学部の先輩医師である5歳年上の万起男さんと結婚。その後、94年と98年の2度、宇宙で任務を遂行した。

俯瞰して考える


 1回目の打ち上げ当日にスペースシャトル・コロンビア号に乗り込んだ際には、訓練中とは異なり液体窒素や液体酸素の燃料が充塡(じゅうてん)されていたため、その影響で機体から蒸気が出ていた。その様子を見て、「いかにもシャトルが息づいている、生き物みたい」と思ったことが印象に残っているという。

 向井さんは搭乗中、生命科学や宇宙医学などに関する実験を行った。宇宙からの観点で地球を考える経験を通し、「広い視野から俯瞰(ふかん)的に物事を考えることができるようになった」と話す。また、訓練中や宇宙滞在中に、女性であるがゆえに大変だったことは、ほとんどないという。向井さんは医学部に在学中、男子部員ばかりのスキー部の活動に熱中していた。その経験が、男性宇宙飛行士が多い宇宙空間で生活することに役立ったと話す。

 2度にわたる宇宙での任務を終えた後、向井さんは富士通や花王、現在はTOPPANホールディングスで社外取締役を務めるなど、宇宙分野以外でも活躍している。そして現在は、東京理科大学で特任副学長を務めており、宇宙に関する研究の裾野を広げるために、企業と連携して活動を行っている。

 向井さんは、宇宙での生活や研究のためだけに開発を行うのではなく、例えば電池を長く持たせるための研究など、宇宙でも地球でも使える「デュアルユース」の技術開発を進めることを提唱している。宇宙を「特定の学問を修めた研究者だけでなく、みんなで何かを行うことができるようなコミュニティーにしたい」という。

 さらに、旅行ではなく仕事で宇宙へ行くとしたら、いまだ研究が進んでいない人工重力に関する研究を月でやってみたいと話す。月面の重力は地球の6分の1であるため、長く住むためには人工的に重力を生み出して環境を整えることが必要なのだ。

 最後に、若い世代へのメッセージを尋ねた。すると「今は“〇〇ファースト”という、自分さえ良ければいいかのような、排他主義的な考え方が広まり、ダイバーシティー(多様性)や環境重視の考え方が停滞してきている。ただそれは振り子みたいなもので、振り子には揺り戻しがある。若い人の力で、振り子の針をバランスの取れた位置に戻してほしい」と力強く話してくれた。

 時折ユーモアを交えながら笑顔で話してくれた向井さん。4月から社会人になる記者は、向井さんのように、目の前のチャンスに前向きに挑戦し続ける人になりたいと思った。

■人物略歴

向井千秋(むかい・ちあき)さん
 1952年群馬県生まれ。77年慶応義塾大学医学部卒業後、85年まで同大学病院で勤務。同年宇宙飛行士に選定。94年と98年の2度、宇宙で実験を行う。その後JAXA宇宙医学生物学研究室長、宇宙医学センター長などを歴任し、2015年に東京理科大副学長に就任、16年から特任副学長。

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