音楽活動と学業を両立 大学卒業したアーティスト・映秀。さんの選択

温かい雰囲気で丁寧にインタビューに応じてくれた「映秀。」さん=東京都渋谷区で、立教大・宇野美咲撮影 大楽人

「人のきっかけになりたい」という目標を掲げ、大学生活を送りながらプロとして音楽活動に取り組んできたアーティストがいる。慶応大学環境情報学部を今春卒業した「映秀。」さん(23)だ。そんな彼に、音楽活動と学業、それぞれが今の自分をどう形作ったのか、両立を可能にした活力の源は何だったのか尋ねてみた。【慶応大・渡辺佳奈(キャンパる編集部)】

聴く人の心をつかむ楽曲

 「映秀。」さんは2020年11月、大学1年生でメジャーデビューを果たし、3枚のアルバムを発表している。リリースした楽曲は43曲にのぼり、その多くを自ら作詞作曲している。

 18年に開設したユーチューブのチャンネル登録者数は約8万人で、代表曲「残響」の再生回数は135万回を超えている。窮屈な世界を自分らしく生きる強い意志が聴く人にストレートに伝わる。そんな楽曲の数々は、若者からその親の世代まで、幅広い年齢層の心をつかんでいる。ファンと同じ目線で距離近く接する姿から、インスタグラムやファンストリームなどの交流サイト(SNS)の配信も人気が高い。

「真に望む場所」を探し続けて

 「僕の音楽はいろいろな味の料理が楽しめるフードコートのようなもの」と「映秀。」さんは語る。音楽が好きになったきっかけは小学校5年生の時に音楽の授業でドラムに出合ったこと。カギを借りて音楽室へ行き、休み時間に一人で練習するほどのめり込んだ。

 ロックからクラシックまで、多様な音楽ジャンルに挑戦し続けるその姿勢は、中高生時代に形作られた。中学では声を褒められたことがうれしくて男声合唱部に入部し、クラシック音楽に魅了された。高校生になると、学内では混声合唱部と軽音楽部の二足のわらじを履いた。

 友人に誘われて加入した軽音楽部だったが、それまでクラシックに親しんでいた「映秀。」さんにとって、ロックは新鮮な経験だった。ボーカルとギターを担当し、アドリブで音遊びする経験が後の曲作りにつながったという。

 また、学外ではカバー曲のネット投稿、学内とは異なるメンバーで組んだロックバンド活動に打ち込んでいた。特に思い出深いと語るのは、ロックバンドの活動だった。「かっこよさを追求するメンバーに出会って得た価値観は、自分を苦しめた」のだそうだ。「なめられたくない、ダサいと思われたくないと周囲からの視線ばかりを気にして、自分が好きなことを見失ってしまった」

 この反省から「環境が自分をつくり、自分が環境をつくる」という考えが生まれた。周囲の環境が自分に大きく影響を与えることを深く理解し、自分が真に望む場所に身を置くことを大事にするようになったという。「人間は多面的で相手ごとに見せる自らの顔は違う。多くの人と関わるほど、新しい自分と出会える。だからこそ、より多くのコミュニティーに所属して、いろんな人と接することを大事にしていた」と語る。

迷わなかった大学進学

 メジャーデビューしたのは18歳。弾き語りライブでのパフォーマンスが現在所属する事務所の目にとまり、手厚いサポートのもと、デビューに至った。「ものすごくありがたい環境で音楽をやらせてもらっている」と感謝を込めて語る。

 音楽活動を続ける中で、大学に進学することには迷いがなかった。「やりたいことは、生活がかかってくると見えづらくなってくる。音楽で自由に望むことを見つけて挑戦できるのは大学までだと思っていた」と「映秀。」さんは言う。

 慶応大の環境情報学部を選んだ理由も明確だった。環境情報学部は環境デザイン、先端情報システム、先端生命科学など多様な研究分野を扱うため、既存の学問の枠にとらわれず、自由に履修科目を選べる特徴がある。学生も在学中からさまざまな取り組みを行う多彩な人材が集まる。「利害に関係なく友達が作れるのも大学まで。自分とは全く異なる方向で全力投球している人物と多く出会える場所を探して、見つけた」という。

 しかしこの選択は、高校1年生の頃から目指していた東京芸術大学受験を諦めるということでもあった。「好きだったクラシックは自分にとって『できること』であって、本当に『やりたいこと』ではなかった。受験校選択の難所に差し掛かった時、そのことに気がついてつらくなってしまった」。しかし、その時に抱いた苦い思いは後に「『できること』をやるのではなく、『やりたいこと』をやろう」という、「映秀。」さんの強い基盤となる思いに変わった。

友人や学びから得た新たな視点

 大学生活で最も収穫だったのは、期待以上の友人と出会えたことだという。アーティストとして活動する「映秀。」さんを特別扱いする友人はいなかった。個性的な友人たちから大きな刺激を受けたことが音楽活動にも新たな視点を与えたという。

 例えば今年1月にリリースした3作目のアルバム「音の雨、言葉は傘、今から君と会う。」。同アルバムは「落語活動をする友人から学んだ、作品から自己を取り除いて物語だけを聞き手に伝える芸術表現を意識して制作した」と明かす。

 また、認知心理学や哲学、社会学を中心に学ぶことで物事の見方や感じ方が変わり、作る楽曲に変化もあった。例えば「Boys&Girls」は、学問によって社会の枠組みを捉え直し、優しさの本質について考えたことによって出来上がった曲だという。

 一方で苦しんだのは、時間の使い分けや頭の切り替えだった。音楽活動のために取りたくても取れない授業や、参加したくてもできないサークル活動やインターンシップがあり、悔しい思いをすることもあった。逆に大学で出た課題に意識を持っていかれ、音楽活動に集中できないなどの支障も出た。

 数々の苦労があった中で、音楽活動と学業の両立を続けられたのは、やはり友人の存在が大きかったという。「大学で一番学んだことは人への頼り方と言っても過言ではないほど、友人に助けてもらった」

 大学生活を終えた今、思うことについて聞いてみた。「大学生活を通して実用性にとらわれない学びの面白さを楽しむ中で、自分が何も知らないことを理解した」という。「だからこそ大学を卒業し、自分に厳しくNOを突きつけてくれる学問という厳しい存在から離れることで、感覚が社会とずれていくことが怖い」。将来的には学問の道に戻ることも考えているそうだ。

迷ったら心の動く方へ

 今は音楽活動に専心するが、その選択は「同世代の多くが就職という道を選んでいく中で、打つと決めたばくち」だと語った。迷いはあった。それは「黄色の信号」という、青でも赤でもない曖昧な存在に自分を重ねた楽曲に素直に表現されている。行く先が明確なレールを友人たちが順当に進む一方、アーティストという先行き不透明な道へ踏み込むことへの葛藤を抱える中で、自分が自分らしくいるための決意を曲にしたという。

 それでもアーティストの道を選んだのは、好きなことを追求して生きたいという一貫する思いがあったからだという。「突き抜けて頑張ったことは、たとえうまくいかなかったとしても次の何かにつながっていくと信じたい。今はただこの道で突き抜けるしかない」と朗らかな笑顔で覚悟を語った。

 「迷ったらゴー。心が動く方へ一緒に行こう」。学生に熱いエールを送った。「踏み出す一歩の重要性は踏み出してみないとわからない。感じて得られるものを大切にしてほしい」という。一方で自分自身の望みは「人のきっかけなること」と語った。「人が感動するような芸術的側面を多く持つ存在でありたい。そして、人が物事を考え始めるきっかけとなる作品を作りたいと願っている」。「映秀。」さんは、これからも歌に乗せて多くの人々に思いを届けていく。

「見て楽しい、聴いて楽しいアーティストでありたい」。それが「映秀。」さんの願いだという=東京都渋谷区で、立教大・宇野美咲撮影

<「映秀。」さんのプロフィル> えいしゅう 2002年生まれ、神奈川県育ち。高校時代から作詞作曲をはじめ、20年に「残響」でメジャーデビュー。20年4月~25年3月、慶応大環境情報学部に在籍し、卒業。「映秀」は本名だ。

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