地元の友人の紹介で、夏休みに学童保育の手伝いをした。放課後の小学校で宿題の採点をしたり、一緒に遊んだりする。
次から次へと関心が変わり、性別や学年に関係なく入り交じって遊ぶ子どもたち。その姿がほほえましく映るのは、無邪気さだけが理由ではない。サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」の一節がふと浮かんだからだ。
(遊び回る子どもが崖から落ちないように)ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたい――。
社会に反発心を抱く、16歳の主人公の言葉。学童では子どもの純粋さを実感する一方で、不信感を持たないよう、周囲が支える必要性も改めて学んだ。ただの独り言だと受け止めていた言葉だが、自分を決して見捨てない存在を、主人公は心のどこかで望んでいたのかもしれない。受け止め方が次第に変化していった。
子どもたちと同じくらいの年に書いた、一冊のノートを思い出す。「10年後の自分へ」という表紙の割に未来への言及は少なく、好きな食べ物やはやりものについて書いてあるだけ。意外に思ったが、それが当時の私が表現しうる全てだった。背の高いライ麦をかき分けるのに必死で、未来や崖の存在など、見えようもなかった。目線が変わり、振り返って初めて「ライ麦畑」を見渡せた気がする。今だからこそ、学童での経験がつかまえ役と重なったのだろう。
学校からの帰り道、畑道を一人歩く。目の前を、とんぼが一匹、横切っていった。【早稲田大・井上亜美】