区切り
先日、初めて海外旅行に行った。父を亡くして1年。苦労が多かった家族の、「お疲れ様旅行」だった。
この1年、むりやりに走ってきた。それは、父の死と向き合うのを避けるためだった。何かに打ち込み、過去のことを考えないようにしようと、キャンパるにも参加を決めた。だが当然、走り続けるには限界がある。走り続けて、一体何が残るというのか。ただ目標もなく走り続けることは、空虚さと隣り合わせではないか。そんな不安もあった。
欧州への長時間のフライトと慣れない言語。海外出張の多かった父の、帰国時の疲れた顔を思い出す。それでも父はひと眠りすると、僕たち家族に出張先の街の写真を見せ、現地で食べた料理を再現して振る舞ってみせたりした。
そんなことを思い出すと、父がもういないことを改めて痛感する。頭が切れ、子どものように活動的だった父。それだけに、喪失感は大きい。そんなことすら、今までは無意識に考えることを避けてきたと気づかされる。
母は旅行中から、父が生前贈ったネックレスをつけるようになった。今まで一度もつけなかったのに。母も、ようやく父の死と向き合えるようになったのだろうか。首元を見るたび、少しとまどう。
父はもういない。海外旅行には一緒に行けなかった。そのことを認め、向き合うときが来たようだ。これから私は、どうやって心の穴を埋めていけばいいのだろう。日本への帰路で私は、そんなことを考えていた。【東洋大・佐藤太一】