中学2年生の頃、ふと片目で天井を見上げた時、そこに僕の知っている世界はなかった。視界は白くかすみ、光がにじんでいた。医師に告げられたのは「白内障」。若年性白内障は非常にまれで、しかも手術が難しいという。
母は病院を必死に探してくれた。いくつもの病院を転々とし、ようやく手術を受けたのは3年後だった。だが術後、発症前の世界には戻れなかった。眼帯を外した時、母が期待に満ちた声で尋ねてきた。「見えるようになった?」。僕は「見えるようになったよ」とうそをついた。これまでの母の苦労を思うと、本当のことは言えなかった。
光は乱反射し、文字や物の輪郭はかすみ、時には二重に見えることもある。その現実に、落胆せずにはいられなかった。どれだけ、手術をしたとしても元通りに見えることはない。白内障に完治はない。
最近、細かい文字や遠くの看板の輪郭が分かりづらくなって、また、見えづらくなってきたと危機感を覚える。そして今、僕ははっきりと感じている。「見えるうちに、もっと見ておきたい」と。朝、目を開けて、知っている部屋の形がちゃんと見えると、少しホッとする。「今日も、世界がちゃんとそこにある」と思えることが、ありがたく感じる。この不確かな視界の中で、それでも僕は、自分の世界を見つめ続けている。【日本大・田野皓大、イラストも】