高校時代からの友人と久しぶりに集まり、4人でドライブをした。私以外の3人はもう働いていて、付き合っているパートナーもいるため、車中では同棲(どうせい)や結婚、将来に関する話に花が咲いた。
楽しかったはずなのに、なんだかもやもやする。帰宅途中で考え込んでしまった。仕事やお金にまつわるリアルな話、近いうち彼氏について地方に引っ越すかもしれないという友人もいた。一方の私は実家住まいで、学業と趣味に明け暮れる生活。そのうち考えることになるのだろうが、まだ想像すらできないステージに身を置いている3人とは話が合わない部分も多かった。友人の幸せを喜ぶ一方、そのことに軽いショックを受けた。
高校時代にそんな違和感は皆無だった。家族よりも長い時間を過ごした友人たち。放課後も休日も、ファミレスや公園で何時間も話をした。数えきれない思い出を呼び起こしてみると、私は焦りや話が合わないことで落ち込んでいるのではないと気づいた。今思えばただくだらない、でもいとしい時間を、あの頃のように彼女たちと共有できなくなったことに寂しさを感じたのだ。
これから年を重ねるにつれて、友人と話が合わなくなる場面はさらに出てくるだろう。お互い違う場所で、違う方向に歩んでいるのだから当たり前だ。でも、なにかめでたいことやどうしようもなくつらいことがあったら、一緒に祝ったり、泣いたりさせてほしい。私たちは一生色あせない青春を過ごした仲なのだから。【日本女子大・安藤紗羽】