韓国の文化は、同じアジア圏の国ということで日本と似通っているところが多い。しかし今年2月から韓国で留学を始めて、決定的な違いも存在することに気がついた。今回はその一つ、韓国の競争社会について報告したいと思う。
どの国にも社会的な競争というものは存在する。日本で生まれ育った私も、さまざまな競争に身を投じてきた。しかし、留学して感じた韓国社会での競争は、私が体験してきた競争とは全くの別物だった。
韓国には、日本のように居住エリアから越境して志望校を選ぶ中学受験や高校受験は存在しない。生まれ育った地域の学校に進むのが普通だ。学生が的を絞るのは大学受験のみ。受験生たちは良い大学に入るために、学生生活のほとんどを勉強に注ぐ。
韓国では一般的に、大学受験の成功は良い人生を約束し、逆に大学受験の失敗は、人生の失敗とみなされる。これは決して大げさではない。日本以上に「どの大学を出たか」の学歴が重視されるのだ。つまり、学生たちは10代のうちに人生で最も大事な分岐点を迎えることとなる。
日本であれば競争は大学入試で終わりで、大学生活を「人生の夏休み」と称し、趣味や遊びにいそしむ人もいる。でも韓国では、大学入学後も激烈な競争が続く。韓国では大学の成績が就職と大きく関係するためだ。だから、学生たちは大学でも必死に勉強をする。 試験期間中は、日本では経験したことがない、重く張り詰めた空気が大学中を漂う。近辺のカフェは学生たちがいつでも勉強できるよう24時間営業となり、図書館では終日満席となる。
韓国の大学の試験はさらに念が入っている。特に私が驚いたのは、相対評価という制度だ。一部の授業では、個人の成績だけではなく、クラス全体での点数を考慮した上で成績がつけられる。その授業で良い成績を取るためには単に授業に積極的に参加し、試験で高得点をもらうだけではだめだ。何よりも重要なのは、横に座っているクラスメートより一点でも高い点数を取ることだ。この制度は韓国社会で繰り広げられる競争の本質を表していると言っても過言ではない。
韓国で生き抜くということは、果てしないマラソンを走り続けるのと同じだ。このような厳しい競争社会が、学力レベルの高い学生たちを輩出している。多くの学生は英語を流ちょうに話し、大学の枠を飛び越え、既に社会や世界で活躍している学生たちも多い。
しかし、どこまでも続く果てしない競争によって心身をともにすり減らすことを強要する社会に、留学生の私は違和感を抱いている。私の医学生の友人は1日の睡眠時間を2時間にまで削り勉強をしている。中には競争に耐えられず自らの手でこの世を去る学生もいるほどだ。競争社会で生き抜くために多くを犠牲にし、重圧に苦しみながら過ごす若者が多いことにも目を向ける必要があるだろう。【ソウルで朴泰佑】(この記事は不定期連載です)