菅義偉前首相の素顔に迫る手法で、今の政治状況を告発する映画「パンケーキを毒見する」(今年7月公開)を製作した、スターサンズ代表・河村光庸さん(72)。2020年の日本アカデミー賞で3部門を制した「新聞記者」など、数々の社会派作品を手がけてきた映画プロデューサーだ。彼の作品に共通する日本社会への危機感にハッとさせられてきた記者が、本作に込めた思いを尋ねたくて会いに行った。【上智大・川畑響子(キャンパる編集部)、写真は日本女子大・鈴木彩恵子(同)】
映画は必要不可欠な基盤
――なぜ、菅前首相を題材にしたのでしょうか。
河村 今の政治家は完全に劣化していると思います。自分の利権だけを考えて、どうすれば重要ポストに就けるかしか考えていない。昔は派閥争いがあったが、その多様性すら失っている。また言葉がないがしろにされ、もはや崩壊してしまっている。菅さんは、そんな今の劣化した政治家の象徴的存在だからです。
――劣化している原因をどう考えますか。
河村 時代背景とも連動していると思います。特にコロナ禍でお金やモノはデジタル空間で動くけれど、人は動けない。だからこそ、人と人の触れ合いの重要性が意識されています。例えば文化芸術を大切にしていく。子供を安心して育てる環境を作っていく。人間にしかできないことを大切にできるビジョンを掲げるべきです。しかし、いまだに政治家はお金やモノに固執している。ビジョンのない経済成長を唱え、既得権益のための政治をしている。
――映画では、ブラックユーモアをきかせた短編アニメがかなり冷笑的だと感じました。
河村 この映画は政治バラエティーと考えています。正確にはドキュメンタリー(記録映画)ではない。知り合いの証言を集めたけれど、最後まで対象者、菅前首相が不在でしたから。あくまでエンターテインメントとして多くの人に見てほしかったです。(法政大の上西充子教授による)国会中継の解説も反響が大きかったですね。国会は言論の府なのに、何も答えられないし、答えようとしない。これを見て、選挙に行かなきゃと思ってもらうのが狙いです。
――政治家の言葉の受け手である私たちも、中身のない言葉に対する慣れが生じている気がします。
河村 「あゝ、荒野」(17年作品)でもテーマにしましたが、現代の問題の一つが、孤立です。デジタルがあることで、つながっている感覚があるだけで孤立している。表層的なやりとりをしている。言葉の大事さや意味を遮断してしまっていますよね。マスコミにも慢心があります。政治家の話す信念のかけらもない言葉に対して、異議を唱えなければいけないのに、追及できていません。
――世界幸福度ランキングなど、日本が遅れているデータを示したり、学生を出演させて本音を語らせたりしたのは、若者向けにわかりやすくした演出でしょうか。
河村 内容は監督に一任していますが、ランキングを表示させるのは私のアイデアです。学生を出演させるのも、学生の考えを示すために監督と話して決めました。もちろん若者に見てほしいからですが、若者だけを意識したわけではありません。大人でも日本の実態を知らない人は多いです。
――ただ、本作のような政治的な映画を好んで見る若者は、少なくとも私の周囲では少ないです。
河村 有名な俳優さんに出演してもらうなど、話題性は意識しています。「新聞記者」(19年作品)では松坂桃李くん、「ヤクザと家族 The Family」(21年作品)では磯村勇斗くんにも出てもらいました。いつかジャニーズにも出てもらいたいなと思っていますよ。
――映画で表現し続ける理由、魅力とは。
河村 映画の良さは、自由な表現ができることです。芸術は不要不急の娯楽ではありません。人間の多様性や創造性を育む、必要不可欠なインフラだと思います。ただエンターテインメント性を大事にしたい。多くの人に見てもらうためです。
――映画内で学生が口にした「投票しても現状は変わらない」という言葉に共感を覚えたのが本音です。総選挙の投票日も目前に迫っていますが、若者へアドバイスは何かありますか。
河村 今の若者には、申し訳ないなという気持ちがあります。希望がない時代で、上から目線でアドバイスなんてできません。ただ、まずは選挙に行ってほしい。消去法でもいいので、投票をしないと政治は変わりません。政治とは、自分の将来を考えること。表層的な言葉ではなく、ぜひ本質へ目を向けてほしいと思います。
パンケーキを毒見する
安倍政権の官房長官を長く務め、たたき上げの政治家としても知られる菅義偉前首相。その素顔を彼の実績と、彼をよく知る人物への聞き取りで浮き彫りにする。庶民的、改革派、利権政治家……彼の本性とは。日本の現状にも深く切り込み、有権者である私たちに「こんな日本に誰がした?」と問う作品。
■人物略歴
河村光庸(かわむら・みつのぶ)さん
1949年生まれ、福井県出身。長年外国映画の買い付けに関わり、2008年に映画の製作・配給を行う株式会社スターサンズを設立。気鋭の監督とタッグを組み、プロデューサーとして活躍。時代を象徴する社会の暗部を描き、見るもの一人一人に日本社会の現状を問いかける作品作りが特徴。