毎日新聞2020年12月8日 東京夕刊
出かける前の、ちょっとした楽しみ。それは、その日のシチュエーションや気分に合った口紅を塗ること。似たような色のものをいくつも持っているが、ブランドもパッケージもそれぞれ違って、眺めるだけでも心がときめく。唇は一つだけど、口紅はいくらあってもいい。
とはいえ、外出時にマスクの着用が必須となった今、お気に入りの口紅を塗ったところで誰にも見せることができない。唇を彩る行為は、もはや自己満足。それでも、毎月どんな新商品が出るか調べて好みの口紅を見つけるたび、「これをつけて出かけたい」という気持ちをかき立てられる。出かける機会も少なくなったというのに、つい買い足してしまうほどだ。
久々に外で友人と会ったとき、そのことを話すと彼女は笑った。「口紅ってお守りみたいなものでしょ。自分の気分が上がればそれでいいんだよ」。そう言って友人はマスクを外し、鮮やかな赤をまとった唇を見せてくれた。
鏡の前で唇に色を重ねると、顔も気持ちも、ぱっと明るくなる。手のひらに収まるこのアイテムは、たしかに私を勇気づけるお守りみたいだ。そう思うようになってからは、外出しない日でも口紅を塗るようになった。何となくやる気が出ないとき、自分にスイッチを入れるために。今日はどんな色を身につけようかな。【東洋大・荻野しずく、イラストも】