今年「創刊」30周年を迎えたキャンパる編集部。OB・OGたちは、多様な場で活躍している。編集部の学生記者が、将来の仕事を視野に、関心のある業界で活躍するセンパイをそれぞれ訪問する。今回は、教育支援を行う認定NPO法人カタリバ(本部・東京都杉並区)で広報を担当する松本真理子さん(37)=2004年明治大卒=と、ゲーム開発会社ジークレスト(本社・東京都渋谷区)のゲームプランナー、小島りささん(30)=14年法政大大学院修了=を訪ねた。それぞれの仕事とキャンパる時代について語ってもらった。(「仕事訪問」は随時掲載します)
知らない世界に挑め
認定NPO法人カタリバ広報・松本真理子さん
松本さんが教育に関心をもつようになったきっかけは、小学生のときまでさかのぼる。3年生のときに転校を経験。それまで通っていた小学校では、戦争について考える取り組みが充実していた。しかし、転校先の子供たちは、戦争の知識がまったくなく驚いたという。その体験から、教育にはメッセージが込められていると考えるようになった。
高校までは当然のように受験勉強をして、無事大学に入学。しかし、大学で感じたのは不安だった。高校までの閉じられた世界での教育だけでは、世間では役に立たないように感じた。将来を見つめ、考える時間が必要だと思うようになる。
「学生生活でしかできないことをしよう」と調べ、キャンパるを見つけた。最初はイラストで参加できればいいと思っていたが、初めての取材が転機となる。先輩たちに命じられた初取材。記事は周囲に評価され、読者からの反響もあった。
取材を通して相手の人生までを深掘りしていくうちに、「高校生までの勉強での『わかる』と、取材での『わかる』はまったく違う」と感じるようになり、取材にのめりこんだ。
カタリバとの出合いも、キャンパるがきっかけだった。02年、当時活動を始めたばかりのカタリバの初めての活動を取材した松本さん。その記事は、カタリバの初のメディア露出になった。それがきっかけで、自身も活動に参加するようになる。高校生一人一人の将来を共に考え、寄り添うカタリバの活動に、松本さんは熱中した。
大学卒業後、地方紙の記者や地域活性イベント企画など、さまざまな仕事にかかわったが、11年の東日本大震災をきっかけにカタリバに復帰する。カタリバが宮城県女川町で被災した子供たちに教育環境を提供する「コラボ・スクール」を開くと知った松本さんは、それまでの仕事を辞め、コラボ・スクールの運営に参加、尽力した。被災地で「何かをしなくてはいけない」という思いがあった。
現在はカタリバ全体の広報としてメディア対応などを行う。重要なのは、カタリバという組織を通じて社会課題を知ってもらうこと。誰に取材し、何を撮影すれば社会課題が伝わるか。それをメディアと共に考えるのに、キャンパるで学生記者の立場で活動した経験が生きているという。
「学校、地域という閉鎖された枠を壊し、知らない世界を知ることが必要」という松本さん。問題解決に向けて自ら考えること。その種が、子供たちにとっても、社会にとっても、実りをもたらすのではないかと語った。【東洋大・佐藤太一】