私の「働き方」を
働くってなんだろう。最近、そんな生産性の無いことばかり考えてしまう。正解なんて無いことはわかっているのに。仕事でやつれた友人の姿を見ると、その意味を探さずにはいられなかった。
大人たちは皆、当たり前のように決まった時間に起き、身だしなみを整え、仕事へと向かう。行きたくない気持ちとは裏腹に、足早に改札を通り抜けていく。電車内でキーボードをたたく女性。駅のホームで電話の相手に何度も頭を下げるサラリーマン。そんな姿を見ていると、社会人として働く友人が思い浮かんだ。
友人の口から出てくるのは、仕事に対する負の感情ばかり。聞いているこっちがうんざりするほど。そんなにつらいなら辞めなよ、他の選択肢だってあるはずだよ。喉元まで出かけた無責任な言葉を、ぐっとのみ込む。代わりに残酷な言葉をかけた。頑張って、と。学生の私には、苦しさを想像することしかできないのだ。憧れでデフォルメされた「働く大人」の理想像が、少しずつ崩れていくのを感じた。
もちろん、生きていくために収入を得るには働かなくてはならない。夢ややりがいだけで空腹は満たせない。だが、暮らしのために働くことで、生活を犠牲にしてしまうのはあまりに悲しいと思った。仕事もプライベートも充実、なんて幻想なのだろうか。
これから本格化していく就職活動。仕事に意味ややりがいばかり求めてしまうのは、奇麗ごとだって笑われるかもしれない。それでも私は、私の働き方を見つけていきたい。【津田塾大・畠山恵利佳】