留学日記inクロアチア 旧ユーゴスラビア 内戦の記憶、今に

留学日記
「サラエボ・トンネル博物館」の建物外壁にはおびただしい数の弾痕が今も残る=ザグレブで

旧ユーゴスラビアの歴史について、日本の若い世代で十分に理解している人はどれほどいるだろうか。筆者自身も留学前は「旧ユーゴスラビア」という名称を知っているに過ぎず、民族的対立から内戦に陥ったいきさつや、歴史的背景を深く考える機会はこれまでほとんどなかった。

 しかし、クロアチアへの留学を通じて現地の歴史に触れる中で、その認識は大きく変化した。同国を含む旧ユーゴスラビア地域では、内戦の痕跡が今なお生々しく残っている。市民を巻き込む激しい戦いがなぜ国内で起きたのだろう? そんな思いが大きくなった。

ユーゴスラビア内戦とは、1991~2001年にかけて、多民族国家だった旧ユーゴスラビアの解体に伴って起きた一連の紛争を指す。死者は少なくとも10万人以上、累計では数十万人に及ぶとされる。「民族浄化」と称して大量虐殺も繰り返された。

 ナチス・ドイツに抵抗し、1945年に建国したユーゴスラビア。同国を説明するのに「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境」という有名な言葉があるが、それほど多様な民族・文化を内包する社会主義国家であった。しかし、80年にカリスマ的指導者のチトー大統領が死去し、89年に東欧諸国が続々と社会主義体制を放棄する「東欧革命」が起きた影響で、その均衡は崩れ始める。

91年6月、スロベニアとクロアチアの独立に端を発した「10日間戦争」や「クロアチア紛争」が勃発。その後も「ボスニア紛争」、「コソボ紛争」など戦乱が繰り返された。

 旧ユーゴスラビア地域には、こうした激しい内戦の記憶を伝える美術館や記念施設が数多く存在する。筆者の留学先であるクロアチアの首都ザグレブの中心街のビルには、「ザグレブ・ロケット攻撃(91~95年)記念センター」が設置されている。同センターは、95年5月2~3日に行われたユーゴ連邦軍によるミサイル攻撃で犠牲となった民間人7人を悼む施設で、館内には、当時の新聞記事やドキュメンタリー映像、ロケット弾の破片などが展示され、無差別攻撃の恐ろしさを今に伝えていた。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボでは、「サラエボ・トンネル博物館」を訪れた。サラエボは92年のボスニア独立を契機に95年末まで続いたボスニア紛争で、脱出困難な包囲戦の舞台になった。同博物館は、セルビア軍に包囲されたサラエボ市民の命綱となった全長約800メートルの地下トンネルを保存・公開している施設である。博物館の近くには、銃弾や砲撃の痕跡が随所に残り、内戦の記憶が風化していないことを物語っている。

 クロアチアの学生の何人かにユーゴ内戦について問いかけてみたが、皆、口数は少なかった。彼らの親世代は戦争経験者であり、身近すぎて口にするにはあまりにも重い経験を背負っているのかもしれないと感じた。【ザグレブで朴泰佑】(この記事は不定期連載です)

PAGE TOP