6畳一間の暗い部屋の中で眠れないでいると、この東京には自分の本当の味方など誰もいないのではないかと思う時がたまにある。すれ違う人々が、一斉に自分に刃を向けてくるのではないかという恐怖に襲われて、私は頭が痛くなる。
それはおそらく、私がこの街のことを信じられていないからなのだろう。風景はひどく直線的で、ネオンはいつもこの街の人間の欲望を忠実に照り返すように光っている。それを見て、私はもっと頭が痛くなる。
しかし自分が孤独だと思う度に私は、この街で出会った人たちのことを考え、独りではないと思い直す。夕立の時、コインランドリーで一緒に雨宿りをしたおじさん、深夜の路上で、私のたばこを勝手に吸っていた黒人。名前も知らない彼らが、この東京のどこかにいると思うとうれしくなる。この街には実にさまざまな人間がいて、そのことは、「東京」がある一個のイメージや構造、主体ではなく、彼ら人間の集合体でしかないことを思い出させてくれる。その時、この街でうるさく光るネオンが、幾多の奇跡的な出会いを照らして包み込んでいるように見えて、私の頭痛はようやく治まる。
ひどく効率的なこの街の風景は確かに嫌いだが、そこにあるビルのあかりそれぞれに血の通った人間がいて、生活があることを思うと、私は東京を愛せるようになる。「木を見て森を見ず」ではなく、はじめからここには「木」しかない。その一つ一つに東京は映っていて、そこにしか東京はない。【上智大・脇坂葉多】

