入道雲を追いかけるように走り抜けた長野県伊那市の田園風景=かつおさん提供
ささやかな日常に魅力
「旅の究極の終わりは『日本全市町村一周』です」。2018年3月にこう宣言して原付きバイクで旅立ち、今年1月に1741の全市町村を巡り終えたのは、「かつお」さんこと仁科勝介さん(23)。旅を記録した自作サイト「ふるさとの手帖(てちょう)」は、旅の完結とともに大きな反響を呼んだ。サイトの愛読者だった記者が、日本の「ふるさと」を駆け巡った日々について聞いた。【上智大・川畑響子、写真は東洋大・荻野しずく】
モクモクと入道雲が立ち上る田園風景や、楽しそうに駆けてゆく高校生たちの姿。「ふるさとの手帖」にあるのはその地域の何気ない日常の写真だが、思わず見入ってしまう魅力がある。
旅先の景色や人々のありのままを、50ミリの単焦点レンズで切り取ろうとした。「好きな町が増えていくばかり」。写真に添えられた一言から、実際にその地を踏みしめた感触が伝わる。旅行経験が乏しい記者にとっては、いつか訪れたい街と憧れが詰まったガイド本のようだ。
「いろんな人が住んでいる場所を見てみたい」。大学1年の時、九州をヒッチハイクで旅したことがきっかけで日本の広さを知り、人々の生活が根付く「ふるさと」を巡りたいと、今回の旅を決めた。好きな街を探し出せる事典のようなサイトを作ることにロマンを感じたという。
準備は2年間。サイトは独学で一から作成し、週5回のアルバイトで貯金した。当時は学生のうちに旅を完結できる目算は立たなかった。
4年生を目前に1年間休学し、カメラを相棒に始めた旅の初日。壁が早くも立ちはだかった。運転中にスリップし、一時は歩けないほどの大ケガをしたのだ。計画は足踏みしたが、「必要なケガだった」と振り返る。その後も旅を続けられる奇跡を幾度もかみしめた。傷が治りきらないうちに旅を再開。まず九州を点々とまわり、2カ月後には幸い完治を告げられた。梅雨の時期には1カ月で北海道の市町村の9割を訪れた。
●被災 逆に励まされ
その時、旅を続けるか悩む出来事が起きた。西日本豪雨で、故郷の岡山県倉敷市や広島市の大学周辺地域が被災したのだ。旅を続けていいのか。遠く離れているために、人ごとになってしまう環境がつらかった。しかし「がんばろう‼西日本」というステッカーを作って旅を続けることを決意。配り続ける中で、逆に自身が励まされることに驚いた。多くの人が、決して近くない被災地を気にかけてくれることを実感したからだ。
東日本大震災や熊本地震、火山噴火による被害の多い地域も訪ねた。つらい記憶があっても、前を向いて生きる人たちに出会った。「自分ができることは写真や文章を通して形に残すこと。その積み重ねしかない」
同じ国でもどこか遠く感じがちな出来事を、かつおさんの写真は優しくつないでいく。心がけたのは、「よそ者」という意識を忘れないこと。サイトでも「あなたのふるさとを、ほんの少しだけ知っています」と書く。その土地の歴史や、住んでいる人々の苦楽に対する敬意を込めた。
ただサイトにはあまりつづられていないが、「旅は自分との闘いだった」と苦笑いする。時には日の出とともに出発し、日没後はネットカフェなどの簡易的な宿泊場所へ。夜遅くにサイトを更新し、また早朝に出発する孤独な日々。だからこそ気づいたこともある。「そこに当たり前の暮らしがあるだけですてきだと思う」。そのまなざしは温かい。
スタートから9カ月たった18年12月までに約1400の市町村を訪問。目標の1000を上回るペースだった。目標達成を踏まえ一度は旅をストップしたが、学生のうちに全市町村一周を達成したいという夢物語は、いつしか現実的に。クラウドファンディングや住み込みバイトでお金を工面し、1年延ばした大学生活も残り半年となった19年9月、旅を再開した。
クラウドファンディングでは目標額の7倍近くお金が集まった。離島めぐりでは、船便の就航率が非常に低い島も足止めを食わずに往来。各地で自然災害が多発する中、直接被災することもなかった。そうして達成した全市町村一周。多くの支援に恵まれた幸運を込め「今思い返してみても、当たり前に終わった感覚がない」と話す。
「市町村は全部回ったけれど、知らないことはますます増えたな」。その目に映る日本は、旅立つ前よりもっと広く深く、そしてもっと美しいのだろう。
そして4月からは倉敷の写真館で働き始めた。業務を覚えつつ、写真を基礎から学び直し、表現の可能性を広げたいと考えている。
ただ、新型コロナウイルス感染症の影響で仕事は不規則に、倉敷もずっと静かになってしまった。そんな中でもかつおさんは、SNS上で写真を公開するなど、試行錯誤しながら表現活動を続けている。ささやかな日常の風景を切り取る写真は、旅人ではなくカメラマンとしての新しい日々を映している。
■人物略歴
仁科勝介(にしな・かつすけ)さん
1996年生まれ。広島大経済学部を今春卒業。「かつお」というあだ名は、中学校の時から自然と呼ばれ始めたが、実は誕生前の名前の候補の一つでもあった。学生時代は写真部のほか茶道部などにも所属。スポーツ観戦も趣味。