ロシアによるウクライナ侵攻が始まってまもなく1年。平和がいつ取り戻せるか見通しが立たない中、東京学芸大小金井キャンパス(東京都小金井市)で10日まで、独ナチス政権によるホロコーストなどを題材に、歴史を「自分ごと」として考える展示会が学生有志の手で開かれた。「歴史に向き合うことを通じて自分自身を見つめ直したい」と願う学生たちの取り組みを取材した。【中央大・朴泰祐】
「正しさって何?」
「『わたし』と『れきし』展」と題されたこの展示会では、ユダヤ人が大量虐殺されたホロコーストや植民地支配の問題など、戦争が引き起こしたさまざまな問題についての国内外の歴史教科書の記述や写真などを比較したパネルが展示されていた。特に日本の歴史教科書に焦点を当てながら、なぜ教科書会社や国、年代によって違うのか、見学者自身が疑問に思い、考えられるよう工夫しているのが特徴となっていた。
展示物から伝わったのは、歴史とは絶対的なものでいつの時代からみても同じものなのか、誰にとっても同じものといえるのか、という問いかけだ。
同展は2021年8月にさいたま市大宮区の大宮図書館で初開催して以来、埼玉大、中央大など場所をかえつつ今回で10回目の開催となる。展示会の発案者は東京学芸大教育学部3年の奥川稀理さん(21)。奥川さんが1年生の夏、新型コロナウイルス下で参加したオンラインイベントで、ホロコーストの歴史に出合ったことがきっかけだった。
その後、奥川さんはナチス政権に対するドイツ人学生の抵抗運動「白バラ」を知る。「現在では運動に参加した学生たちが正しいことをしたと称賛されているが、かつては悪とみなされ処罰された。それを知ったとき、自分の中で『正しさ』というものがわからなくなった」と奥川さんは話す。「自分がその場にいたら、自分の正しさを貫けていただろうか」と思うようになったという。
奥川さんはまた、歴史と現代はつながっていると感じている。「ホロコーストでは多くの人々が、ユダヤ人だから、障害者だから、同性愛者だからなどという理由だけで虐殺された。そして、現代でも同じように、『○○だから』という一方的な決めつけで、生きづらさを感じている人は大勢いる」
ホロコーストの歴史を通してさまざまな人々と対話したい。しかしコロナ下で身近に意見を交わせる場はなかった。そこで奥川さんは、同じオンラインイベントに参加していた学生たちに「ホロコーストを通じて自身と対話し、みんなで考えられる場所を作りたい」と提案。賛同してくれた8人の仲間とともに実行委員会を結成し、展示会実現に向けて動き出した。
「『わたし』と『れきし』展」という名称は、「れきし」を通して「わたし」を見つめ直してほしいという思いから名付けられた。
「押し付け」にならぬよう
展示会を開くことは決して簡単なことではない。開催の趣旨をすんなり理解してもらえなかったこともある。しかし、学生たちは諦めなかった。必ず開催するという思いを胸に、粘り強く交渉した。そのかいあって展示会をこれまで開くことができた。
展示物の説明には細心の注意を払った。実行委員の中央大文学部4年、井上未菜さん(22)は「展示会は学校ではない。歴史教科書と同じような歴史観の押し付けになっていないか、言葉一つにも気を配り、歴史観の押し付けにならないようにした」と展示のこだわりを語った。
奥川さんは、歴史と自分に対してじっくりと向き合える空間づくりを意識したという。そして同時に「みんなが入りやすく、展示を通じて学生たちがつながれる場所になってほしかった」と、展示会が果たす役割についての願いを口にした。
戦争と虐殺の歴史と現実に、自分たちはどう向き合うのか? 記者は「『わたし』と『れきし』展」に足を運んで、そう問いかけられているようにも感じた。
欧州では今も、ナチスを美化する極端な主張がある。日本でも、関東大震災発生当時に起きた朝鮮人虐殺や日中戦争下の南京大虐殺などについて疑問視する主張や否定的な見解が流布している。こうした歴史修正主義的な動きについて奥川さんは「歴史は解釈だ。人の説く歴史のすべてをうのみにしてはいけない。歴史に対して疑問を持つことが大切」と自身の見解を述べた。
そして現在、ウクライナを侵攻し、非戦闘員である一般の住民に無差別攻撃を続けるロシア。実行委員の埼玉大教育学部4年、西山花音さん(23)は「戦争が早く終わってほしい。戦争が終わっても悲惨な戦後が待っていると思うと心苦しい」とウクライナ侵攻への心境を口にした。
およそ1年半かけて実施してきた展示会だが、4月をもって休止し、メンバーはその後、個々に学びを深めていく。奥川さんは「ドイツに民主主義の土台となる歴史教育を学びにいく」予定だ。