未来の自分の姿を前向きに考えることができない時がある。思い描いていた理想の姿と遠くかけ離れている、今の自分。未来が不透明で中ぶらりん。漠然とした不安と孤独感に押しつぶされそうになる。そんな時、どうしてだろうか、元々絵画好きの私は、早すぎる死を遂げた画家の作品に救いを求めてしまう。
荻原守衛、村山槐多、松本竣介、石田徹也――。彼らが、私と同じ年ごろに描いた作品を鑑賞すると、私と同じような悩みを抱えていたのではないかという気がしてくるのだ。これからどこに向かって歩んでいけばよいのか悩み、もがいていたのかな……。彼らに思いを巡らすと、少し肩の荷が下りるような気がする。そして彼らが命ある限り、真剣に芸術と向き合い続けた証しである作品を見て、私も現実逃避せずに自分の進むべき道を模索し続けなければと反省もさせられる。
天才芸術家と一介の大学生である自分とを単純に比較はできないだろう。しかし、短い命を燃焼し尽くした彼らの姿から何かが見えるかもしれない。理想にたどり着かなくとも、生きていればいつか実になる日がくるかもしれない。そんなふうにとらえなおすことができるのだ。
「自分はこの自分の孤独を感ずる事の外に、自分の生存を感ずる事のできないものである」。同じく早世した画家である岸田劉生の言葉が、そんな私の背中を押してくれる。私がたびたび感じる不安や孤独は、生きている証拠なのだと。悲観的になるのはもうやめよう。【東京学芸大・中尾聖河】