2019/04/30 キャンパる30周年

私たちだからできたこと

 平成の歴史とともに歩んできたキャンパる。今年2月に30周年を迎えた。キャンパるにおいて欠かせない出来事を、歴代キャンパらーとともに振り返る。【まとめ、昭和女子大・小林千尋】


記者としての一歩 初代キャンパる記者を務めた大塚昌吾さん(54)=1990年卒

大塚昌吾さん


 --当時の活動の様子を教えてください。
 会議は週1回。編集長(編集委員)が話題を投げ、キャップを中心にみんなで意見を出し合った。原稿は手書きで、その場で編集長に見てもらった。

 --当時このような活動は珍しかったですか。
 (一般紙の)活字メディアに自分の記事が掲載されるということは、当時はとんでもないことだったと思う。新聞紙面という商品をつくるわけで、緊張感もあった。新聞社に長年勤めているが、記者の仕事の走りだったなと感じている。

 --キャンパるはどのような場所でしたか。
 同世代とは真面目な話もできる仲だった。会議後はみんなで飲み会へ行き、編集長も子供のように可愛がってくれた。


書かなければ 東日本大震災体験記を執筆した西谷卓さん(33)=2011年卒

西谷卓さん

 -どのような記事を執筆しましたか。
 大学の卒業間近だった。実家の宮城県と、福島の浜通り、新地のおばあちゃんの安否を心配した体験記を書かせていただいた。未曽有の出来事だったから書かないわけにはいかなかった。

 --身近な経験を書くことに迷いはありませんでしたか。
 なかった。伝えられる媒体があるなら伝えたいと思った。今自分の記事を読んだら当時の心境がすぐ呼び起こされ、閉じ込めた一瞬の記憶となっている。

 --学生記者が大震災関連の取材をすることについてどう思いますか。
 時の流れとともに興味が薄れていく中で、学生発信のメディアだからこそ、今の被災地を知る意義があると感じる。


誰かの生きた証し、書けた 戦争取材班メンバーとして2015、16年の2度取材を行った高井里佳子さん(23)=2018年卒

高井里佳子さん

 --どのような記事を執筆しましたか。
 ブラジル日系移民の終戦に関する抗争についてと、戦地に菓子を運んだ給糧艦「間宮」について。日系移民の方とは遠方のためテレビ電話での取材。「間宮」ではほとんど寝たきりの元乗組員に話をうかがった。

 --印象的だったことは。
 取材をしたブラジル日系移民の方が翌年亡くなってしまったこと。戦争の記憶が聞けるか否かが瀬戸際になっていることを実感した。また元乗組員の娘さんから、「父が記事を大事そうに枕元に置いている」とのお礼の絵はがきが届いた。誰かの生きた証しを刻み、それが少しでも喜びになったことがうれしかった。


貴重な一瞬、感動 箱根駅伝取材班として最初の記事を執筆した松本真理子さん(37)=2004年卒

松本真理子さん

 --どのような記事を執筆しましたか。
 02年の箱根駅伝で、専修大学陸上競技部を取材。あまりメディアには出てこない裏方のマネジャーに密着した。

 --印象に残っているエピソードは。
 往路ゴールで選手が倒れ込んだところをマネジャーが抱きかかえている場面。他メディアが殺到する中、隙間(すきま)をぬって撮影した写真が掲載された。貴重な一瞬だったと改めて思う。

 --当時の感想を教えてください。
 取材することになるまで、実は箱根駅伝をほとんど知らなかったため、取材班メンバーのサポートに助けられた。取材を通して選手たちの雄姿と、それを応援する人々の心遣いに感動した。


今の自分の基礎に キャンパる創刊25周年特集を担当した鈴木康平さん(29)=2014年卒

鈴木康平さん

 --執筆した記事について教えてください。
 25周年の節目に「キャンパる年表」を作成。何度も毎日新聞本社に通ってスクラップを読み直した。

 --5年前と今とで、違いや共通点はありますか。
 全体的に文も企画も面白くなってきているなと思う。一方、変わっていないのが紙面に出てくる男子の名前が少ないこと(笑い)。

 --キャンパるとはどのような場所でしたか。
 学生時代に唯一、熱中できた場所だった。記事を1本書く、ネタ出しを1回するたびに、さまざまなことを学んできた。文をまとめること、取材の切り口を考えること、人と接することなど、当時の活動の全てが今の基礎になっている。


仲間との出会いは宝物

 今回、平成最後の日に合わせてインタビューした5人のみならず、多くの歴代キャンパるメンバーに当時を振り返ってもらった。
 話を聞いた中で印象的だったのは、すてきな出会いの数々だ。取材相手との一期一会や、社会に出てもなお交流の続くキャンパる仲間。紙面に記したりすることで色濃くなる出会い。ただ会うだけでなく、深い話をすることで、互いの心にしっかり刻まれる。それは取材した先輩たちの記憶の鮮明さが、証明していた。
 その他、協力してもらったOB・OGから「キャンパるが自分を成長させてくれた。皆さんも頑張ってください」「これからの紙面も楽しみ」など、掲載しきれないほど多くの激励やアドバイスをいただいた。
 「平成」のキャンパるは本紙面が最後。30年間、急速に変化する時代の流れの中で、奮闘する学生の姿を伝えてきた。これからも変わらずキャンパるは、その時代の若者の等身大を映し出す紙面を作っていきたい。【上智大・川畑響子】


キャンパる
 「キャンパス」と「パル(仲間)」の造語。正式名称は「毎日新聞キャンパる編集部」。1989(平成元)年2月4日「創刊」。東京本社管内の毎週火曜日夕刊に掲載。首都圏の大学を中心に学生記者約20人が活躍。「学生の知りたいことを伝える」をテーマに、紙面を作り上げる。企画から取材、執筆まで大学生の手で行う。現在、全国9エリアにまで広がりを見せている。


キャンパる年表

 平成元(1989)年   2月4日 「創刊」。掲載は土曜日夕刊=[1]

[1]創刊号紙面(1989年2月4日)

   2(90)年     8月   「戦争と平和」特集取材班が発足。初回は座談会形式

   5(93)年    11月   学生コラム「すた・こら」始まる

  10(98)年     4月   「大楽人」「斬る」始まる

  11(99)年     2月   10周年特集

  14(2002)年   1月   箱根駅伝取材班初記事

              5月   「大学講義実況中継」始まる

  15(03)年     1月   「会いたい人」「なにコレ!?」始まる

              6月   「読見しました。」始まる

  18(06)年     4月   掲載日が金曜になる

  19(07)年     3月   「写Now」始まる

  20(08)年    10月   「就活してます。」始まる

  21(09)年     2月   20周年企画。池上彰氏インタビュー=[2]

[2]20周年池上彰氏インタビュー=平成21(2009)年2月13日

              5月   「新人コラム」始まる

              6月   公式ホームページ「キャンパるLife」開設

  22(10)年     2月   キャンパるOB・OGの職場訪問記事「仕事訪問」始まる

  23(11)年     2月   学生たちの「本音」に迫る「聞いてみました」始まる

              3月   「キャンパる記者震災体験記」掲載=[3]

[3]東日本大震災体験記=平成23(2011)年3月25日

              8月   公式ツイッター「毎日新聞キャンパる編集部」開設

  24(12)年     1月   公式フェイスブック「毎日新聞キャンパる」開設

              2月   「大学受験応援企画」始まる

             11月   「就活最前線」始まる

  25(13)年     1月   大阪本社鳥取支局で「とっとりキャンパる」始まる。「学長に聞く」始まる

              8月   キャンパる編集部、「とっとりキャンパる」編集部訪問

  27(15)年     1月   「おすすめ本特集」始まる

              4月   「新入生座談会」始まる

  28(16)年     4月   大阪本社「学生記者がゆく(のち、同本社版キャンパるに改題)」始まる。宇都宮大学提携「とちぎキャンパる」始まる

  29(17)年     3月   「かながわキャンパる」「東海キャンパる」始まる

              6月   「しがキャンパる」始まる

             11月   掲載日が火曜になる

  30(18)年     4月   静岡大学提携「しずおかキャンパる」始まる。「九州版キャンパる」始まる

  31(19)年     2月   キャンパる30周年。とちぎ・しずおかキャンパる、東京本社のキャンパる編集部訪問。平成生まれの直木賞作家、朝井リョウさんを再訪=[4]。初訪問は平成26(14)年6月

[4]朝井リョウさん

              3月   3キャンパる「30周年記念座談会」企画(3キャンパる各オリジナル紙面)=[5]

[5]
キャンパる座談会=平成31(2019)年3月5日


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