毎日新聞 2021/3/30 東京夕刊 有料記事 1891文字
大学の卒業式も終え、いよいよ新たな生活がスタートする。次のステップへの期待と不安が入り交じるこの季節。前回に引き続き、新天地へ旅立つキャンパる卒業生たちの、今の思いをお届けする。
多くの経験、財産に 上智大 太田満菜
「迷ったら、挑戦する方を選べ! 根性見せてけっぱれ(頑張れ)!」
高校3年の夏、進路に悩んでいた時に青森の恩師にかけられた言葉だ。受験勉強中、模試の成績が伸び悩む時期があった。もう勉強なんてやめてしまいたいとくじけそうになるたび、私はこの言葉を思い出した。そうすると自然と気持ちが奮い立つ。「絶対に合格して東京ですてきな大学生になるんだ」と、やる気が戻ってくる。先生がくれた言葉は私にとってお守りのようなものだった。
運良く第一志望の大学に入学できた私は、このお守りの言葉を支えに、後悔のない生活を送ると心に決めていた。大学には一人も知り合いがいなかったため、とにかく人脈を広げようと奮闘した。友だちに誘われれば何にでも顔を出し、サークルも時間が許す限り参加。選択を迫られた時は、恩師の教え通り常にチャレンジする方を選んだ。勉強も遊びもキャンパるも、全力で駆け抜けた。
酸いも甘いも味わったけれど、今思えば全部大切な私の財産だ。大学生活での多くの経験を通して、あらゆることが一生に一度の瞬間なのだと感じた。自分で選んだ以上、その瞬間をどんな時でも大切にしようと思えた。
4月から社会人になる。つらく苦しいことも多く待ち受けているだろう。それでも、ずっと大切にしてきたこのお守りの言葉と、大学で過ごした色あせない思い出が私を励ましてくれる。新生活もけっぱるど!
個性追求続ける 学習院女子大 田中美有
振り返ればこの4年間、「自分の個性」についてずっと考えていた。周りに流されずに自分の好きなことを追い求める友人たちに囲まれながら過ごしていたからだ。今、「自分の個性」について答えるなら、性格や得意不得意といった内面についてだろう。
2、3年前は「個性的」という言葉に確かな自分の定義を持っていなかった。当時の自分の「すた・こら」には「個性的」な振り袖を着たかった、などと書いている。しかし今読み返してみると、何を基準にそう判断するのか、そこまで深く考え切れていなかったな、と思う。外見や身にまとうものが他人とは少しだけ違っていることがそうだと思い込んでいた。
だが、私はその後の大学生活でたくさんの「個性的」な人と出会ってきたと思い返す。では、私は何をもってその人たちをそう判断しているのか。それは、見た目でも着飾るものでもない。その人たちの人となりや長所短所といった内面的な特徴が、つまり他者にない魅力が詰まった人が、「個性的」と感じていたのだ。
だから、予定を詰め込みすぎてしまうのも、SNSをちょっぴり気にしすぎてしまうのも、アニメが好きなのも、すべて私の個性の一部。「個性的」な自分とは、意図的に作り上げるものではなくて、内面から湧き出てくる自分の特徴を自然にとらえた時に見えてくる、他人との違いなのだ。この違いに磨きをかけて、「個性的な自分」を追求していきたい。
選択に正否なし 津田塾大 畠山恵利佳
優柔不断だ。何かを決めるのが苦手で、大小に関わらずいつも人一倍悩んでいる。選び得たものへの期待より、手放したものへの未練や後悔が大きい。まともな夢や目標は持っていないのに、どこか空虚な理想が自分を後ろめたくさせる。
大学受験で満足な成果を得られず、道を踏み外したと思い込んだ私は、存在しないリセットボタンを探した。どこで間違えたのか。どこからやり直せば良いのか。入学前は、そんな自問自答ばかりしていた。
しかし、気づけば大学生活が終わろうとしている。あっという間だった、と感じるのは充実していた証拠だろう。多くの出会いや機会に恵まれた。今は、やり直したいなんて思えない。
さまざまな経験を経て、選択そのものに正否はないのかもしれないと、このごろ考えるようになった。過去に踏んだ数々の分かれ道の先に、今の自分がいるのは間違いない。だが、選択が運命でも偶然でも、大切なのはその後だった。選んだ道をどう歩いていくか。たまには全力で走ってみたり、休んでみたり。
この4年間は、手にした選択肢を正解にすることに必死だった。答えがわかるのはずっと後。無いことだってある。すぐに答えは出なくとも、未来を尊重して選ぶことができたら大人に近づいた証拠だ。
これからも悩み、失敗を繰り返すだろう。でも大丈夫。その選択を未来へつなげる力は、大学生活で得たはずだから。