まだ保育園に通っていた頃、筆まめな祖父のまねをして日記を書き始めた。当時は簡単な漢字すらろくに書けなかったが、のびのびとした大きな字で、その日の出来事をつづっていた。おまけに、文章の下には1日1コマの創作漫画まで。絵も文章もめちゃくちゃだけど、幼い日々の思い出が詰まった日記帳は大事な宝物だ。
しかし中学校卒業の頃には、約10年書き続けた日記をやめてしまった。日々を記録するために使うのはスマートフォン。関心事や心にたまった複雑な思いは、ツイッターにつぶやくことで満足するようになっていた。
そんな私が日記を再開したのは、窮屈な自粛生活を送っていた昨春のこと。ああ、今なら自分と向き合って何か書けるかも。ふと、そんな気持ちが湧いてきたのだった。今日あったこと、その時感じたこと、言葉に出せず胸の内で悩んでいること……。楽しい予定の書き込まれない手帳が日記帳代わり。絵を描くスペースなんてとれないほど、吐き出したい弱音がすべて文字になるのだ。
2020年の手帳を見返すと、その中身はまるでごった煮。新しい手帳には、就活の予定が入るたびに募る不安な気持ちを、包み隠さず書きつづっている。無邪気だったあの頃のようには書けないけれど、将来を案じてばかりいる今の文章も、いつか宝物に思える日が来るだろうか。【東洋大・荻野しずく、イラストも】