「海外留学したい」と一度は思う学生は少なくないだろう。記者もその一人だ。大学の海外派遣制度を使ってスイスに1年間留学する予定だったが、新型コロナウイルスの世界的大流行を受け、今年5月に中止が決まり、断念した。「ウィズコロナ」時代の留学のあり方とはどのようなものだろうか。昨秋から今春にかけて留学していたキャンパる記者2人に、憧れの海外生活から一転して現地でコロナ禍に巻き込まれた苦難や、オンライン留学の感想などを語ってもらった。【司会・まとめ、上智大・川畑響子】
――留学先と予定の期間、そしてなぜ留学を決めたのかを教えてください。
田中 交換留学制度を使って昨年10月から今年7月の予定でスロベニアのリュブリャナ大学へ。国際政治を学んだ。狭い世界しか知らずに社会に出ることに迷いがあり、4年生になってから決めた。
西 同じく交換留学で、昨年9月から今年6月の予定でロシアのサンクトペテルブルク国立大学へ。同じく国際政治を学んだ。以前キルギスを訪れた際、旧ソ連の影響を強く受けた人々の考え方に驚いたのがきっかけ。ロシアから見た国際情勢や、現地の文化を学びたいと思った。
――どんな留学生活を送っていましたか。
田中 アクティブに行動することを大事にしていた。留学生向けのツアーに参加したり、大使館でインターンを始めたり。どれもその場で決断して、人脈を広げていった。小さい国だからこそ、日本人の少ない環境でいろんなことに挑戦できたな。
西 国際政治はもちろん、語学の勉強にも力を入れた。片言だったロシア語が、日常会話と文献講読ができるまで上達したのはうれしかった。
――授業や学びで苦労などはありましたか。
西 英語での授業が少なく、ハイレベルな大学院の授業に参加することも多かった。留学生は大学院生が多く、知識量の差に最初は劣等感を強く覚えた。
田中 一つの授業につき講義とゼミがセットになっている感じ。発言機会が多くて、一体感のある授業に徐々に慣れていった。現地の学生と仲良くなるきっかけにもなった。
西 確かに友達はとても大事。チューター(学習助言者)のロシア人と仲良くなってロシア語だけで話したり、彼女の家に泊まったりした。学びは長期戦だから、長く付き合える親友を作れてよかった。
――実りある留学生活もコロナ禍で一変したと思います。当時の状況は。
西 私は、コロナが流行し始めた3月末に帰国を決めた。日本とは異なる政治体制の中で、外国人が不必要に隔離されるという強権的な対応も小耳に挟み、不安に感じたことが大きい。情報も錯綜(さくそう)していて勉強に手がつかなくなったため、日本でオンライン留学を続けようと決心した。
田中 私は逆の考え方で、帰国しても状況は同じだと考えて現地にとどまった。2月に急に1週間授業が中止され、一時は大学側もパニックに。3月からオンライン授業に移行したが、その時期にはもう空港も封鎖されていた。
――帰国しないという決断はすごいと思います。
田中 基本的に寮生活で、感染リスクが低かったことが大きかった。ただ、アジア人差別もあって不用意に外出できず、一時は本当につらかった。自然豊かな環境を再確認して気持ちを落ち着け、なんとか乗りきったと思う。授業が終わって大学から帰国を促されたが、フライトが再開せずなかなか帰れなかった。再開後も運航中止がたびたびあり、なんとか6月下旬に帰国できた。
――西さんは帰国してオンライン留学を続けたわけですが、感想は。
西 教授によりけりだけど、どれも発言機会は十分あった。過去の講義動画で予習し、授業ではさらに理解を深められるよう配慮してくれた教授もいた。ただ、時差の影響で夜9時から11時まで講義が続くことも(笑い)。
――今後検討する学生もいるかもしれません。お勧めできますか。
西 長期留学後はどうしても燃え尽き症候群になりがち。オンラインも選択肢に含めることで、継続的な学びにつながりそう。
田中 語学習得など、学びたいことが明確ならアリだと思う。留学のハードルが下がるといいな。ただ、現地の雰囲気を感じることは難しいよね。
西 最初からオンラインだと、頼れる友人がいないのもつらい。授業外での交流をオンラインで積極的に作っていくことが必要かもしれない。
――最後に、私のように留学を検討している人に助言をお願いします。
西 現地の医療体制や政治体制も今まで以上に重要な要素になりそう。
田中 私はコロナ禍をなんとか現地で切り抜けようとしたことで、本当にタフになった。今後の状況はわからないけれど、ぜひチャレンジしてほしいな。
――留学の目的や方法は多様でいいということを再認識できた気がします。ありがとうございました。
参加者
西美乃里(筑波大3年)
田中純名(東京外大4年)