空に散った少年の日常、今に 歴史語り継ぐ「予科練平和記念館」
茨城県阿見町には戦中、東洋一の航空基地ともいわれた霞ケ浦海軍航空隊が設置されていた。1940(昭和15)年には航空機搭乗員育成にあたる海軍飛行予科練習部、通称「予科練」の教育を専門に行う土浦海軍航空隊も置かれた。その阿見で予科練の歴史を貴重な資料とともに語り継ぐ「予科練平和記念館」と、予科練生らが貴重な余暇を過ごした指定食堂を訪れた。
記念館開設の端緒は予科練出身戦没者の慰霊を行う当時の財団法人海原会からの働きかけだった。会員の高齢化に伴い予科練との関わりが深い同町に歴史の伝承を依頼。2010年に設立、今年10周年を迎えた。
館内は白を基調とした内装に、天井が高く窓から差し込む陽光が印象的だ。「空に憧れて入隊したともいわれる予科練生を思い、館内の至る所から空を見渡せるようにした」と館長の湯原幸徳さん(61)は話す。
展示は、予科練生の象徴とされた制服の七つボタンにちなんで七つのテーマに分かれる。「入隊」「訓練」「心情」「飛翔(ひしょう)」「交流」「窮迫」「特攻」の順番で、予科練生たちが過ごした日々を追うことができる。航空兵力の増強が急務だった海軍が30年に開設した予科練。14~17歳の少年を試験で選抜するが、第1期生の志願倍率は73倍という高さだった。志願理由は空への憧れに限らない。予科練に合格すれば給与ももらえる。後年戦況が悪化し多くの搭乗員が必要になると、苦しい生活から逃れるため志願した人もいるという。
記念館には当時の試験問題や成績表、家族宛ての手紙や遺書などの資料が190点ほど展示されている。これらの貴重な資料は予科練出身者や自衛隊OBらで組織した阿見町予科練資料収集委員が全国から集めた。また展示の至る所にある写真パネルには、散髪の様子など当時の予科練生の等身大の姿が写る。
学びは飛行技術のほか国語や英語、通信など多岐にわたった。隊でのスケジュールは分単位で移動は駆け足。そんな厳しい訓練の中にも休息のひとときがあった。休日の外食は軍が指定した七つの食堂でとることができたのだ。その中で現存する、そば専門店の吾妻庵総本店(同県土浦市)を訪ねた。
明治6年創業のお店の建物も当時とほぼ変わらず、味のある木札のお品書きも目をひく。記者もそばをいただき当時に思いをはせた。「お母さんが重箱にごちそうをつくってもってきて、2階で息子の特攻隊の方と面会したらしいよ」と昨年亡くなった5代目店主の妻、青柳きぬ子さん(75)は語った。
予科練出身者の多くが特攻隊に入ったことは事実だ。しかし予科練イコール特攻隊というイメージが先行してしまうのは、記念館として本意ではないという。「優秀な操縦士を育てるための教育の場であった予科練の歴史を後世に正確に伝えていきたい」と語る湯原さん。町を歩き、展示や食事を通して歴史を肌で感じることができた。気軽に外出ができない状況が続くが、自らの目でみて事実と向き合う時間を大事にしたい。【法政大・平林花、写真は東洋大・佐藤太一】