第98回箱根駅伝 総合8位でシード権獲得、死力尽くした国学院大

箱根駅伝取材班

 2、3日に行われた正月恒例の第98回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)。キャンパる編集部は毎年、注目チームや選手に焦点を当てて取材し、紹介してきた。今回は、15回目の出場で、駅伝強豪校としての地位を固めつつある国学院大学に注目。同大はいくつものアクシデントを乗り越えて総合8位となり、創部以来初の4年連続のシード権獲得となった。独自のチーム強化法である「2年計画」で3年時から主軸となり、チームの発展に死力を尽くした4年生4人。それぞれの立場で最後の箱根を語ってもらった。(写真は上智大・川畑響子)

無念乗り越え次へ 島崎慎愛(よしのり)選手

 レースの流れを作る1区か、山下りの6区か。不動の中心メンバーであり、直前までファンが起用区間に注目していた島崎選手。実は昨年3月の日本学生ハーフマラソンでチームメートの藤木宏太選手に勝った時から、1区起用の案は固まっていたそうだ。

 しかし大会直前の昨年12月29日、試合用の厚底靴を履いて試走した際、足を痛めて事態は急変した。前田監督は「1区がだめでも他の区間で」と、ぎりぎりまで検討したが、最終的に2日の夜、電話で島崎選手本人に「途中でタスキが途切れたら何も残らない」と、欠場を伝えた。

 「自分が走れていたら」。悔しくて涙を流した。何より、これまで支えてくれた両親に対しての申し訳なさが大きかった。だが母親から「初出場の人も、あなたと同じくらい強い気持ちで臨んでいる。任せてあげな」と諭され、気持ちを切り替えることができた。新たに決まった任務は、復路10区の給水係。「楽しもう!」と心に決めた。

 レース当日の3日。10区の15キロ地点で、アンカーの相沢龍明選手に水を渡した。後ろを走る帝京大学と20秒ほどの差があることを伝えるとともに、「いい足の動きをしている。俺たちの分も頑張って」と声をかけた。わずかな時間だが、目を見てしっかりとうなずいてくれたという。

 チームでは「ピカイチのムードメーカー」と自負していた副主将の島崎選手。同期や後輩を引き付け、気を配る力は、前田監督も認めるほどだ。尊敬する先輩から受け継いだ、「学生トップランナーとしてのふるまい、勝つための考え方」を後輩たちにしっかりと伝えた。

 子どものころ、テレビを食い入るように見た憧れの舞台は無念の幕切れとなった。しかし、島崎選手はもうこの先を見据えている。卒業後は地元群馬に帰り、実業団のSUBARUに所属することが決まっているからだ。目標は「ニューイヤー駅伝の1区で区間賞を取ること」。学生の間に果たせなかった「区間賞獲得」への思いは尽きない。そこでも「みんなから憧れてもらえるような、カッコいい走りを見せたい」と意気込んだ。【千葉大・谷口明香里】

最後は魂の走りで 木付琳(きつきりん)選手(7区)

 主将として、チームの先頭に立ち続けた2年間。揺るがない目標として掲げていた箱根優勝には届かなかったものの、大会後の取材では「総合優勝を夢見てきた2年間にひとつも悔いはない」と前向きに語ってくれた。

「走ることが好きだが、特に何人かで一本のタスキをつなぐ駅伝が好き」と話す木付選手=川崎市高津区で、上智大・川畑響子撮影
「走ることが好きだが、特に何人かで一本のタスキをつなぐ駅伝が好き」と話す木付選手=川崎市高津区で、上智大・川畑響子撮影

 最後の大舞台となった箱根路だが、万全とは程遠い状態だった。大会まで1カ月を切っていた昨年12月中旬、左足のアキレスけんを負傷。出場できるかどうか前田康弘監督と毎日話し合った。月末には副主将の島崎慎愛選手も足を負傷。チームの屋台骨だった2人のケガが重なることは想定すらできない事態だったが、大会直前までともに練習した。だが島崎選手は起用されないことが決定。「チームのために、島崎の分も自分が走らなければ」。前田監督とともに、出場を最終決断した。

 起用されたのは7区。6区を走った1年生の原秀寿選手からタスキを笑顔で受け取ってのスタート。しかしケガの影響で調整は不十分だった。後半はつらそうな表情が目立ち、本人も「個人のレースだったら走れなかった。何回もやめたくなった」と語った。力になったのは、給水をしてくれた同期の櫛渕皓介選手と古川礼穏選手からの言葉。「絶対離れちゃダメだ。俺らの分まで走ってほしい、琳ならやれる」。仲間の熱い言葉に励まされ、「ビリでもいいからつなごう」と、無我夢中で足を動かした。本来の実力からは遠い区間20位。だが、魂の走りでつないだタスキだった。

 チームをけん引して臨んだ最後の箱根。「この2年間、いろいろ背負ってきたなと実感している。ホッとする気持ちも寂しさもある」と振り返った。また今回、シード権獲得に貢献した後輩たちには「自分たちが引き継いできた本来の走りをしてくれた。4年間、全てのチャンスは平等にある。前田監督の指導を素直に聞いて、結果をつかむまでの過程を大事にしてほしい」と期待を寄せた。

 卒業後は実業団の九電工に進む。「国学院で培ったことを土台に新しい自分を創りたい」。競技生活を終えた後は、前田監督のように教え子に人としての成長を促す指導者になることを思い描く。乗り越えてきた壁が厚い分、良いスタートが切れるはずだ。【日本大・山口沙葉】

夢の4年間財産に 殿地(どんぢ)琢朗選手(5区)

 箱根路を走りたい一心で国学院大に進み、毎年その舞台に立ち続けてきた。1年時は8区、2年時は10区、そして3、4年時は5区。4年連続出場を果たした殿地選手を、前田監督は信頼を込めて“ミスター箱根駅伝”と呼ぶ。

殿地選手はレース前夜、粘り強く走れるようにと、オクラの乗った牛丼を食べるという=川崎市高津区で、上智大・川畑響子撮影
殿地選手はレース前夜、粘り強く走れるようにと、オクラの乗った牛丼を食べるという=川崎市高津区で、上智大・川畑響子撮影

 毎年12月ごろになると、ぐんぐん調子が上がってくるのが特徴だ。自ら調子をコントールしているわけではないため、本人も「面白いですよね」と一笑する。箱根が近づいてくると自然と強気になるのだという。

 出身は、山深い岐阜県高山市。益田清風高校時代は、全国的に目立つ存在ではなかったが、熱心な勧誘を受け、2年時に同大進学を決意。3年時に全国高校駅伝の出場を逃した悔しさから、「箱根駅伝には絶対に出てやろう」と闘志を燃やし、大学1年で箱根初出場をつかみとった。

 入学時から志願していた区間は、山上りの5区だ。「国学院は今まで山が鬼門だった。だから自分がここ(5区)を走って、差をつけられる存在になりたい」。そう意気込んでいたが、2学年上には、浦野雄平選手(現富士通)がいた。3、4年時に5区を走り、3年時には区間賞を獲得した偉大な先輩だ。その後を継ぐため、浦野選手が指導を受けていたトレーナーに練習方法を聞き、同じメニューを実践して、力をつけてきた。

 満を持して箱根の山に挑んだ昨年はチーム順位を三つ上げ、区間8位。今年は3位でタスキを受けとり一時は2位に浮上するも、その後は低血糖症に見舞われ失速。苦しいレースになった。それでも終盤に粘りを見せ、往路4位でゴール。「きつい中でベストは尽くせた」と振り返る。

 最後の箱根は悔しさの残る結果だった。しかし、大会から一夜明けた4日、殿地選手はすっきりとした表情でこう語った。「箱根を走れたことよりも、そこに向けて仲間とともに戦えた日々が何よりの財産。悔いはないです」

 卒業後は住宅関係の一般企業に就職する。競技はこれで引退だ。4年間チームを支えた“ミスター箱根駅伝”は、酸いも甘いも経験した夢の箱根路に別れを告げ、新たな舞台へと踏み出していく。【東洋大・荻野しずく】

陸上に人生懸ける 藤木宏太選手(1区)

 藤木選手が陸上をやる上で大切にしてきたことは「人生が懸かっている」ということ。その言葉を胸に、最後の箱根駅伝となる今大会では4年連続で1区を走り、チームに勢いを与える走りを見せ、区間6位の結果を残した。

終始冷静に取材に応えてくれた藤木選手だが、まなざしは熱く真剣だった=川崎市高津区で、上智大・川畑響子撮影
終始冷静に取材に応えてくれた藤木選手だが、まなざしは熱く真剣だった=川崎市高津区で、上智大・川畑響子撮影

 自身の性格を一言で表すと「意地っ張り」。4年生という立場もあり、見せかけでも強気に意地を張ることもあるという。また負けず嫌いで、陸上を始めたのも小学生のマラソン大会で年下の子に負けて悔しかったからだそうだ。

 陸上には常にストイックに向き合ってきた。今まで一度も陸上をやめたいと思ったことはないが、つらかったことはよく覚えている。「自分のためになるのは、楽しい記憶よりつらかった記憶だから」と藤木選手は話した。

 北海道出身で北海道栄高校時代に5000メートルでインターハイに出場。その後、勧誘があった国学院大に進学した。

 藤木選手は1年時から箱根駅伝に出場し、1万メートルではチームで上位のタイムも保持している。それゆえに、「エース」と言われることも多かったが「走る上で肩書は関係ない。肩書がなくても力のある選手は結果を出している。自分が肩書に甘えないためにも意識し過ぎないようにしていた」と語った。

 レースに起用される同期生がいなかった1年時は、少し寂しさも感じていたという。しかし、「同期のみんながレースに出られるまで、自分が土台を作って待っておこうと思った」と藤木選手。その後タイムを競うライバルとなった同期生たちと走れることをうれしいと思う一方、「負けたくない」という気持ちも強くなったという。

 今年の1区起用は予定外だった。「準備ができていなかったが、経験値で前に進めた」と振り返った。卒業後は実業団の旭化成に進む。まずは実業団のひのき舞台であるニューイヤー駅伝で、レギュラーを取りたいと話す。「人生が懸かっている」陸上に対して、人一倍の熱い思いを持って走ってきた藤木選手。今後の活躍にも注目したい。【日本女子大・鈴木彩恵子】


取材班の一言

 箱根駅伝2022取材班メンバーを、ひと言コメントとともに紹介する。

「祈るような気持ちでレースを見守りました。来年こそは現地観戦を!」(東洋大・荻野しずく)

「箱根への熱い思いに終始圧倒されました」(早稲田大・尾崎由佳)

「夢中で箱根にのめり込んだ満足のいく2カ月密着でした」(千葉大・谷口明香里)

「改めて駅伝の奥深さを感じました」(東京学芸大・中尾聖河)

「選手の言葉一つ一つに重みがあり、学び多い取材でした」(日本女子大・鈴木彩恵子)

「タスキをつなぐ同世代の選手の皆さんに、たくさん元気づけられました!」(日本大・山口沙葉)

「大好きな箱根駅伝に浸れる、充実した時間でした!」(早稲田大・山本ひかり)

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