大楽人 「落語日本一」目指す三井悠馬さん(慶大通信教育課程文学部2年) 観客の歓声に達成感

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 2月21日、落語の祖と言われる江戸時代の高僧、安楽庵策伝の故郷である岐阜県で、大学生・大学院生の落語日本一を決める第18回全日本学生落語選手権「策伝大賞」の決勝戦が行われた。そこに大学1年生としてただ一人進出し、注目されたのが慶応大通信教育課程文学部2年の境家一八四(いやよ)=本名・三井悠馬=さん(19)。高校、大学と通信教育で学びながら古典落語を極めようと励む、異色の大学生だ。


 「いやよいやよも好きのうち。どうも、境家一八四と申します」。そんなマクラで一八四さんの語りは始まる。一八四さんは通信制高校のN高等学校出身。高座名の「一八四」は、同校設立母体のドワンゴが運営するウェブサイト上で「匿名コメント」を意味する「184コメント」をもじったものだ。

 一八四さんの落語との出合いは、小学5年生の頃。車のラジオで上方落語を聴き、「声だけで何人も演じ分けているのに衝撃を受けた」という。その後、親の知人の落語愛好家に頼み込み、寄席へ連れて行ってもらった。座布団の上で、顔の向きや声色を少し変えるだけで老若男女を明確に演じ分ける演者。その話芸を目の当たりにし、自分でも演じてみたいと憧れた。

 幼い頃から目立つことが好きだったという一八四さん。近所の落語教室に通い始めてわずか2カ月ほどで、初めて高座に上がった。「当時は着物を着て舞台袖から出ていくだけで、歓声を浴びていましたね」と笑う。場数を踏むにつれ演じ分けもできるようになり、いつしか話の締めくくりに拍手喝采がわき起こるようになった。「誰かにとって価値のある瞬間を残せているんだ」と実感し、さらに落語にのめり込んでいった。

寄席の出演料は、帯や扇子などの現物支給になることもあるという=東京都新宿区で
寄席の出演料は、帯や扇子などの現物支給になることもあるという=東京都新宿区で

 高校2年生でN高に転校してからは、プログラミングにも没頭した。その翌年には地元・広島県から上京し、知人宅に身を寄せながらIT企業でインターンに励んだ。だが数カ月がたち、激務や人間関係のもつれから適応障害になり離職。大学受験への不安も重なり、「落語なんてやめちまえ」と一切合切の道具を捨ててしまったこともあった。「当時はまともな判断ができなくなっていたんでしょうね」と振り返る。

 一八四さんの背中を押したのも落語だった。高校時代から交流があり、現在は国際基督教大の落語研究会で部長を務める境家ちがう=本名・坂本誓(ちかう)=さん(21)から、寄席への出演を依頼された。不安のなか、ちがうさんから渡された扇子を手に高座に上がった。だが話すうちに観客がわいていき、出番を終えるころには「自分にはやっぱり落語しかない」と感じたという。

 再起の機会をくれたちがうさんの背中を追うように、大学進学も決意した。選んだのは経済的負担が少なく、在宅受講が中心の通信制大学。1年目は政治学や統計学などを幅広く履修した。「時間割がないからこそ、出演依頼があればすぐ駆け付けられるし、稽古(けいこ)も好きなときにできる」と、通信教育の利点を挙げた。今後は古典文学の関連講義も受講しようと考えている。

 一八四さんは、ちがうさんが部長を務める国際基督教大と、他大学からもメンバーを募る一橋大の2大学の落研に所属している。ただ入会後はコロナ禍で、対面で交流する機会はほとんどなかった。そのため古典落語の動画を視聴しながら口ずさんで話を覚えたり、カラオケの個室で練習したりするなど、個人練習が中心となった。

 その研さんの成果を試す場となったのが、2月に行われた策伝大賞だった。今大会には全国29大学・大学院から72人の学生がエントリーした。

 決勝に進んだのは、事前のビデオ選考を勝ち抜いた11人。一八四さんは、女性役の色っぽさが際立つ「紙入れ」を演じた。大舞台に緊張したのもつかの間。「いざ高座に立つと、一言目から笑いが取れて手ごたえを感じた」。がむしゃらに語るうち、出番は「気づいたら終わっていた」という。

 結果は優勝者(4年生)と同点で、協議の結果、初挑戦の一八四さんは審査員特別賞となった。頂点を逃した悔しさを胸に一八四さんは雪辱を誓う。「負け惜しみですが、2位だったからこそ来年の挑戦権が得られたんだと考えています」。策伝大賞では、優勝経験者は次回の大会で選外になるためだ。

 ちがうさんは、一八四さんの落語を「演じ方のバランスが良い。自分の声音や体格にぴったり合う役を演じ切ることができ、リアリティーを出せる」と評価する。とくに女役の艶っぽさには定評がある。

 「自分は落語しかできない」と話す一八四さん。今後はプロへの道を探りつつ、これまで幾多の落語大会に挑戦してきた経験を生かし、「年齢問わずアマチュアが腕を競い合えるような、競技落語の大会を自分で企画してみたい」と意気込む。

 記者も3月末、東京都内で行われたイベントで一八四さんの落語を聴いた。題目は「初天神」。自分の息子が苦手な父親と、その大人びた息子を演じ分ける。ふと目を閉じると、屋台が並んだにぎやかな通りを歩く、親子の珍道中が思い浮かんだ。【筑波大・西美乃里、写真は東洋大・佐藤太一(取材時)、同・佐藤道隆(同)】

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