すたこら:「伝えたい感謝」

 演劇が好きになったのはいつからだろう。物心つく頃には演劇好きの母に連れられ何度も劇場を訪れていた。幕が上がり舞台に広がる現実とは全く違った世界。役者の声と表情、音楽がこちらを引き込む。ステージからこれでもかと伝わる熱気に、気が付けば夢中になっていた。

 そんな観劇にもひとつだけ悩みがある。カーテンコールの際、観客が起立し盛大に拍手を送るスタンディングオベーション。役者にとっては最大の賛辞だ。それにいつも私は乗り遅れてしまう。楽しかった、面白かった。その思いを素直に表せばいいのに、先に誰かが立つのを確認してからでないと立てない。周りの空気を読むことに気を取られてしまうのは、日本人の性(さが)というものだろうか。

 昨年の夏、私は名作「レ・ミゼラブル」の朗読劇を鑑賞した。声だけで表現される世界に圧倒される。理不尽な社会に翻弄(ほんろう)されながらも懸命に生きる、主人公ジャン・バルジャンの姿が目に浮かぶ。ラストの彼の独白には思わず、涙がこぼれた。立ち上がって、この感動と感謝を伝えたい。しかし周りを見回しても誰かが立つ気配は全くない。どうしよう。頭の中でぐるぐると考える。結局立てないまま、舞台は幕を閉じた。どうして自分の気持ちを伝えられなかったのか。1年以上たった今でも後悔している。

 以前のように普通に観劇できる日々がいつ戻るかはわからない。次に劇場を訪れる時には、あの日伝えられなかった分も込めて、気持ちを送りたいと思う。【学習院女子大・渡口茉弥】

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