すたこら:「私の志」

 「自分の能力を生かして、これからの日本を担う人材になりたい」。「国境を超えてより多くの人々の暮らしを良くしたいので、この企業を選んだ」。周囲の知人が口にする、こういった「立派で高い志」を聞く度に、私は何だかモヤモヤとした違和感を抱いてしまう。

 素晴らしいはずの志に、なぜ引っ掛かりを覚えてしまうのか。それは、「より大勢に影響を及ぼすことができる人にこそ価値がある」という意識を「高い志」から感じてしまうからだと気づいた。もちろん、口にする彼らにそういう意識が実際にあるかはわからない。単に私がひねくれているだけかもしれない。

 それでも、家事育児より会社で働く方が偉いと思う人がそれなりにいる現代、社会への貢献の度合いで人の価値は決まるとする風潮はあるのではないか。けれど、どれほど大規模事業に仕事で携わろうと、どれほど社会的地位が高かろうと、一個人の力などたかが知れているし、一個人がいなくなろうと組織や社会は回っていく。「社会」という大きな枠組みで捉えると、自分の代わりはいくらでもいる。それは皆に平等に言えることだ。

 「高い志」にはモヤモヤするが、仕事を通して誰かの生活を豊かにしたいという思いは、来年から就職する私の中にもある。けれど名前の知らない人々以上に、代えのきかない家族や友人に向き合っていくことを大事にしたい。目の前の人を大切にしないで、より多くの人々と向き合うことなどできないはずだから。【東京大・高橋瑞季】

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